ECONALK.
Economy

1930年代の再来:「吉田ドクトリン」の終焉と日本が築くべき第三の防波堤

AI News Team
1930年代の再来:「吉田ドクトリン」の終焉と日本が築くべき第三の防波堤
Aa

「長い平和」の終焉:東京湾からの眺め

レインボーブリッジの展望台から東京湾を見渡すと、そこには数十年にわたり変わらぬ風景が広がっているように見える。パナマ、リベリア、シンガポールの旗を掲げたコンテナ船が、大井や青海の埠頭へと静かに滑り込み、日本列島の呼吸を支えるシリコン、レアアース、エネルギーを運び込んでいる。物流の鋼鉄のバレエだ。しかし、丸の内の商社でリスク分析を担う専門家たちの鋭い目には、この静寂こそが危険な幻想として映る。水面は穏やかだが、海図は燃えているのだ。

日本郵船(NYK)の物流マネージャーたちにとって、朝のルーティンは劇的に変化した。かつて彼らが太平洋の台風情報を追っていた時間は、今や紅海における対艦ミサイルの着弾範囲や、台湾海峡での封鎖演習の計算に費やされている。「効率」だけが導き手であり、グローバルな商取引が高いところから低いところへ水のように流れていた黄金時代――「長い平和(Long Peace)」――は終わった。その代わりに私たちが目撃しているのは、排他的な経済ブロックへの世界的な硬直化であり、この現象は不気味なほどに1930年代の国際連盟の崩壊と重なる。

かつて日本の戦後の安定を支える双子の柱であった国連とWTOは、超大国の拒否権によって麻痺しつつある。防衛研究所(NIDS)の2025年版報告書が冷静に指摘するように、国際的な「法の支配」は「力の支配(might makes right)」へと溶解しつつあるのだ。日本にとって、これは単なる外交上の頭痛の種ではない。「吉田ドクトリン」という国家戦略そのものに対する存立危機事態である。

1951年以来、吉田茂首相が描いたグランド・ストラテジー――安全保障を米国にアウトソーシングし、ひたすら経済成長に注力する――は、日本の羅針盤として機能してきた。それは戦争で荒廃した国を経済大国へと押し上げた。しかし今、その羅針盤は狂ったように回転している。「アメリカ・ファースト」の産業政策を掲げて内向きになる米国は、もはやかつてのような慈悲深い自由貿易の保証人ではない。『インフレ抑制法(IRA)』とその後の政策群は、同盟国であっても米国市場へのアクセスには「プレミアム」を支払わねばならないことを事実上通告している。

その影響は、経団連加盟企業の取締役会で具体的な数字となって表れている。トヨタ自動車や東京エレクトロンがサプライチェーンを見つめる時、彼らの目にはもはやグローバル市場は映らない。そこにあるのは、制裁、輸出管理、そしてデュアルユース(軍民両用)技術規制という地雷原だ。「効率第一」のモデルは、「セキュリティ第一」へと強制的に書き換えられつつある。

優先順位の激変:日本企業のリスク認識 (2020-2025)

経済産業省の「通商白書」から集計されたこのデータは、「地政学的分断」を主要なリスク要因として挙げる日本企業の割合を追跡している。かつての上位項目であった「為替変動」や「労働力不足」を押し退け、2023年から2024年にかけて指数関数的に上昇していることは、半導体輸出規制の強化と、事実上の「インターネットの分断」と直接的にリンクしている。

私たちは再びブロック経済の世界へと回帰している。しかし1930年代とは異なり、日本は孤立した島国として生きることはできない。対岸が燃えている時に、受動的な「橋渡し役」を演じるだけでは不十分だ。生き残るために、霞が関は「ルールの受け入れ手(Rule-taker)」から「ルールの形成者(Rule-maker)」へと転換しなければならない。それは、オーストラリアやインド、そしてASEANの一部と連携して「ミドルパワー連合」を構築し、ワシントンや北京の動向にかかわらず、シーレーンを開放し続けるための第三の安定極を作り出すことを意味する。

締め付けられる首:「中立」が負債になる時

**東京エレクトロン(TEL)**の幹部たちにとって、赤坂Bizタワーの会議室を支配する沈黙は、もはや「様子見」を意味するものではない。それは、戦後日本が米国に防衛を委ねながら全方位に商品を売りまくることができた「吉田ドクトリン」が、ついに心停止した音である。

引き金を引いたのはミサイルの発射ではなく、先週木曜日に米国商務省産業安全保障局(BIS)が公開した1つのPDFファイルだった。新たな「外国直接製品ルール(FDPR)」の拡大適用は、最先端のAIチップだけを標的にしているのではない。今回初めて、中国の国内産業基盤の背骨である「レガシー」な露光装置やエッチング装置までもが、明確に包囲網の中に組み込まれたのだ。

2024年度の売上高の40%近くを中国市場――そこでは米国のラムリサーチなどが規制で撤退した穴を埋めていた――に依存していたTELのような企業にとって、これは外交上のトラブルではない。経営に対する外科的な切断手術である。

「左腕を救うために、右腕を切断しろと言われているようなものだ」。ある大手総合商社のシニアストラテジストは、匿名を条件に日経新聞の記者にそう漏らした。これこそが**「ミドルパワーの罠」**である。かつて日本の経済的奇跡を支えた「戦略的曖昧さ」が、今や諸刃の剣となって喉元に突きつけられている。

経済産業省の2025年版通商白書で指摘されているように、ワシントンが推し進める「デリスキング(リスク低減)」という物語は、能動的な「市場排除」へと変異した。データは、日本の製造業にとって恐ろしい乖離を示している。日本のハイテク部材に対する米国の需要は依然として堅調だが、高収益なメンテナンス契約を含む中国市場の強制的な放棄を補うには程遠いのだ。

エクスポージャーの格差:中国売上高比率 (2025年度)

2025年度の財務開示からまとめられた上のグラフは、痛みの非対称性を浮き彫りにしている。以前の制裁ですでに中国市場から切り離されていた米国の競合他社は、この新しいラウンドで失うものが少ない。対して、「政経分離」の理想を掲げて橋渡し役を維持しようとした日本企業こそが、崩れ落ちる構造物の上に取り残されている。

大田区や東大阪の中堅精密部品メーカーの窮状を考えてみてほしい。半導体巨人にセラミックコンデンサや真空シールを供給するこれらの「隠れたチャンピオン」たちは、今やワシントンだけでなく北京からも「コンプライアンスの最後通牒」を突きつけられている。日本商工会議所(JCCI)の2025年の調査によれば、これらサプライヤーの18%が、米国の域外規制に従えば中国規制当局から「信頼できないエンティティ(Unreliable Entity)」に指定すると脅されているという。

これが新しいブロック論理の具体的なコストだ。日本はもはや橋ではない。引き裂かれるウィッシュボーン(鳥の叉骨)だ。かつての「中立」は、今やワシントンからは「共犯」と見なされ、北京からは「弱腰」と見なされる。生き残るために、日本は他国が引いた「レッドライン」に反応するのをやめ、韓国、オランダ、オーストラリアといった同じ脆弱性を共有する「有志連合」と共に、自らの線を引かなければならない。

形骸化する「核の傘」:同盟リスクプレミアム

外務省の休憩室で飲むお茶が苦くなったとしたら、それは茶葉のせいではない。「核の傘」――1952年以来、日本が安心して眠ることを可能にしてきた戦略的岩盤――が、いまや「従量課金制(Pay-per-view)」のサービスになりつつあるという現実のせいだ。2025年の米国「太平洋態勢見直し(Pacific Posture Review)」が、同盟のコミットメントを「公平な負担分担に依存する」と明記した瞬間、吉田ドクトリンは実質的に死を迎えた。

これは単なる外交的レトリックではない。丸の内のすべてのCFOが帳簿に計上しなければならない新たな項目だ。

在日米軍駐留経費負担、いわゆる「思いやり予算」を考えてみよう。何十年もの間、これは同盟の結束を示す象徴的なジェスチャーと見なされてきた。しかし、昨秋の難航した交渉において、米国の交渉官は米海軍のプレゼンスを貿易赤字の相殺と直接リンクさせる算定式を提示したと報じられている。**戦略国際問題研究所(CSIS)**が2026年1月のブリーフィングで指摘したように、米国の有権者が「無条件」の世界警察官としての役割を支持する意欲は過去50年で最低水準にあり、世論調査では62%が防衛条約に対して「取引的(トランザクショナル)」なアプローチを支持している。

三菱重工の戦略立案者や野村證券の為替トレーダーにとって、このシフトは**「同盟リスクプレミアム」**という恐ろしい変数を導入する。

先月、このボラティリティがスポット市場で顕在化した。米空母打撃群が「予算の強制削減」を理由に東シナ海への展開を遅らせた際、円は単に変動しただけではなく、痙攣した。日銀が介入するまでの数時間で対ドルで1.4%も急落したのだ。市場は「空白」という考えられない事態を織り込み始めたのである。

この「取引的同盟」は、現在の枠組みにおいて日本を不可能なコーナーに追い込む。もし安全保障が「購入するサービス」であるなら、その価格はボラティリティだ。米国はもはや一枚岩の保証人ではなく、選挙サイクルごとに外交政策が180度転換しうる分断された政治的実体である。日本が危機において現金化できると信じてきた「小切手」――米軍の介入――には、地政学的リアリズムの厳しい光の下でしか見えない注釈が無数についている。

早稲田大学で国際関係を論じる重村智計氏が最近の『文藝春秋』で警告したように、「我々は両端が燃えている橋を渡ろうとしている。米国は中国を封じ込めるための要塞になれと要求するが、我々の経済はその要塞が封鎖しようとしているサプライチェーンにいまだ依存している」。

以下のデータは、日本の防衛支出と米国コミットメントに対する信頼度の乖離を示している。東京が支出を増やしても、「傘」への信頼は反比例している――このダイバージェンス(乖離)こそが、吉田時代の終わりを告げるシグナルだ。

不安のコスト:日本の防衛支出 vs 同盟への信頼度 (2020-2025)

傘はまだ閉じていないが、布地は裂け始めている。日本はもはや、受動的に雨宿りを待つことはできない。自らのシェルターを製造しなければならないのだ。

ミニラテラリズム:新たな「生存キット」

名古屋市港区、三菱重工の航空宇宙システム製作所。ここで働く若手エンジニア、田中健太(34)の朝は、もはやシアトルのボーイング社からのメールチェックでは始まらない。彼のモニターに映し出されるのは、英国ランカシャーのBAEシステムズ、そしてイタリアのレオナルド社の技術者たちとの、時差を越えた激論のログだ。彼らが設計しているのは、次期戦闘機「GCAP(グローバル戦闘航空プログラム)」。かつて日本が米国製戦闘機の「ライセンス生産」という名の追従に甘んじていた時代は、この工場のフロアからは完全に消え去っている。

この現場の風景こそが、戦後70年以上にわたって日本の国家戦略の根幹を成してきた「吉田ドクトリン」――軽武装・経済重視・対米一辺倒――が、2026年現在、完全にその役割を終えたことを物語っている。

かつて永田町の合言葉は「対米追従か、自主独立か」という不毛な二元論だった。しかし、世界が再び「ブロック経済」と「陣営対立」の時代へと回帰する中、日本が選択したのはそのどちらでもない第3の道、「アーキテクト(設計者)としての外交」である。米国という唯一の「ハブ」に全てのスポーク(同盟国)がぶら下がる従来のハブ・アンド・スポーク型システムは、米国の内向き化(アイソレーショニズム)という不確定要素の前で、もはや国家の生存を保証する保険として機能しなくなっている。

「格子状(ラティス)」の防波堤

経済産業省の通商白書(2025年版)が「生存のための多角化」と表現したように、日本は今、米国を補完しつつも、米国に依存しない独自の「ミドルパワー連合」を構築している。その象徴が、英国・イタリアとのGCAPであり、オーストラリアとの「円滑化協定(RAA)」である。

これは単なる軍事協定ではない。豪州クイーンズランド州で、陸上自衛隊の水陸機動団が豪軍と共に泥にまみれている光景は、日本の防衛ラインが東シナ海から南太平洋へと物理的に拡張されたことを意味する。フィリピンへの沿岸監視レーダー供与、インドとの半導体サプライチェーン協定――これらはすべて、巨大な「点」と「点」を結び、中国やロシアといった修正主義勢力に対抗するための「格子状(ラティス)」の防波堤を築く作業だ。

日本の戦略家たちは、冷徹な計算に基づいている。もし米国政治が再び混乱し、ホワイトハウスが機能不全に陥ったとしても、ロンドン、キャンベラ、ニューデリー、マニラとの重層的なネットワークがあれば、日本は孤立しない。これは「日米同盟の軽視」ではない。むしろ、同盟を維持するための「リスクヘッジ」であり、米国自身が維持コストを賄いきれなくなった国際秩序を、ミドルパワーたちが共同出資で支える新たなモデル(ミニラテラリズム)なのだ。

コストとしての自律

しかし、この「生存キット」の価格は安くない。防衛費の対GDP比2%への増額は、財務省の主計局にとって悪夢だったかもしれないが、独自の外交資産を持つためには不可避な「会費」だった。2026年の今、日本はもはや「平和のただ乗り」を許される立場にはない。

以下のデータが示す通り、日本が米国以外のパートナーとの共同訓練や防衛協力を劇的に増やしている事実は、この「自律への投資」が口先だけのものではないことを証明している。かつて「受動的な橋渡し役」であった日本は、今やインド太平洋における安全保障アーキテクチャの「能動的な建設者」へと変貌を遂げたのである。

多国間防衛協力の急増(米国以外との共同訓練・協定数)

私たちは問わねばならない。この新しい「生存キット」を手にした日本は、次にどこへ向かうのか? グローバル・サウスとの連携という次なるフロンティアにおいて、GCAPで培った「対等な技術提携」のモデルは、防衛産業を超えた新たな外交カードとなり得るのだろうか。

「武装した平和」の経済的代償

吉田ドクトリンは、何十年もの間、日本にとって最も収益性の高い輸出品だった。信頼性の高い自動車や電子機器を輸出し、その見返りに米国の核の傘の下で安全保障を輸入する。それは、列島が軍事力よりも経済の奇跡を優先することを可能にした取引だった。しかし今日、霞が関の財務省の静かな廊下を歩けば、雰囲気は沈痛だ。「タダ」同然だった安全保障の時代の請求書がついに届いたのだ。そして、その額は天文学的である。

丸の内の大手商社の戦略立案者にとって、「地政学」という抽象概念は、貸借対照表上の具体的な項目へと硬直化した。防衛費をGDP比2%へ倍増させるという岸田政権(当時)の決定――戦後のガラスの天井を打ち破るもの――は、単なる政策転換ではない。国家経済の根本的な再構築である。我々は「効率」の時代から「強靭性(レジリエンス)」の時代へと移行しており、レジリエンスとは高くつくものなのだ。

「防衛増税」を考えてみよう。政治的な内紛により完全実施は遅れているが、その軌道は数学的に不可避である。43兆円(約3,000億ドル)規模の5か年防衛力整備計画の財源を確保するために、政府には企業収益に手を付ける以外にほとんど手段がない。エネルギーコストの高騰と人手不足にすでに圧迫されている大田区の中堅精密部品メーカーにとって、提案されている法人税の付加税は単なる迷惑ではない。中国のライバルに対抗するために必要な研究開発(R&D)予算への脅威である。

コストは直接税にとどまらない。「平和の配当」は、インフラの真のコストを覆い隠していた。日本の港湾や空港は、「ジャスト・イン・タイム」の効率性のために設計されており、物理的な脅威や封鎖に対する強靭性は考慮されていなかった。国土交通省は、那覇や石垣を含む「特定利用空港・港湾」の強靭化という、静かだが巨大な事業に着手した。これは90年代のような公共事業のバラマキではない。「防衛的レトロフィット(改修)」だ。南西諸島の滑走路強化に注ぎ込まれるセメントと鉄鋼は、東京や大阪の民間建設資材コストを押し上げ、すべての新しいマンションやオフィスビルに「インフレ的なセキュリティ・プレミアム」を上乗せしている。

さらに、円安が残酷な乗数として作用する。防衛予算が策定された当初、為替レートの想定はもっと有利だった。今日、1ドル150円近くで推移する通貨で米国製のトマホークミサイルやF-35の予備部品を購入することは、インフレを国家予算に直接輸入することを意味する。日本総合研究所の最近の分析が指摘するように、この通貨安は厳しいトレードオフを強いる。調達数を削減する(安全保障を妥協する)か、予算をさらに増やす(財政規律を妥協する)かだ。

防衛費の高騰:当初予算 vs 通貨の現実 (兆円)

これが「武装した平和」の隠れた税金だ。それはサプライチェーンの分断コストであり、エネルギー安全保障へのプレミアムであり、税収基盤が縮小する国が再軍備を行う重荷である。兜町の投資家にとって、計算式は変わった。「ジャパン・ディスカウント」はもはや人口動態だけの問題ではない。それは、自国が賄いきれない地政学的階級(ウェイトクラス)に無理やり留まろうとする国家の、財政的硬直性の問題なのだ。我々はもはや橋ではない。要塞になりつつある。そして要塞は、絶え間なく、高価な維持費を必要とする。