アイビーリーグの転換点:コロンビア大学が選んだ「実利」とウィスコンシン流ガバナンス

象牙の塔から「戦時宰相」へ
ニューヨーク・モーニングサイドハイツの空を覆う冬の霧は、コロンビア大学の象徴であるロー・メモリアル・ライブラリーの重厚な柱を、どこか不確かなものに見せていた。2026年1月、かつて「沈黙の合意」が支配していたアイビーリーグの聖域は、劇的な変貌を遂げようとしている。コロンビア大学理事会の公式発表によると、空位となっていた第21代学長に、ウィスコンシン大学マディソン校(UW-Madison)のジェニファー・ヌーキン(Jennifer Mnookin)総長が招聘されることが決定した。この人事は、伝統的な「象牙の塔」としてのプライドを事実上返上し、トランプ政権2期目が突きつける「アメリカ・ファースト」の教育再編と、激化する文化戦争の荒波を乗り越えるための「危機管理」と「公的説明責任」への決定的な転換を意味している。
ウィスコンシン大学のような大規模州立大学のトップは、常に州議会という「政治のリアリズム」との摩擦の中で、予算と学問の自由を天秤にかける交渉を強いられる。コロンビア大学が今回、洗練されたエリート学者や内部昇進者ではなく、州政府との厳しい予算交渉や多様なステークホルダーの利害調整に長けた人物を選んだ背景には、連邦政府による研究助成金の削減圧力や、キャンパス内での言論の自由を巡る法的な包囲網がある。『クロニクル・オブ・ハイアー・エデュケーション』誌などの業界分析において、現代の米大学学長に求められる資質は、純粋な学術的権威から「政治的防波堤」としての実務能力へと、不可逆的に変質したと指摘されている。

このシフトは、日本の文部科学省が進める「国立大学法人ガバナンス改革」や、国際卓越研究大学の選定を巡る動向とも深く共鳴する。特に、第1回目の選定で東北大学が唯一の認定を受けた衝撃冷めやらぬ中、東京大学などの国内トップ校が再挑戦に向けたガバナンス改革に追われる現状において、米国の「学問の自律性」が政治的な「アカウンタビリティ(説明責任)」の波にどう適応していくのかは、極めて重要な先行事例となる。
コロンビア大学への寄付金および連邦助成金の推移 (単位: 百万米ドル) ※推計値
ウィスコンシン流「防御のプレイブック」
ジェニファー・ヌーキン氏の指名は、単なる人事異動以上の重みを持つ。UCLAロースクールの学部長を務め、証拠法と憲法学の専門家である彼女のキャリアパスは、2026年の米国アカデミアがトップリーダーに何を求めているかを如実に物語っている。それは伝統的な「学術的権威」ではなく、「法的防御力」と「政治的生存能力」である。
ヌーキン氏が舵を取ってきたウィスコンシン大学は、米国の「文化戦争」における激戦地の一つであった。共和党が主導権を握るウィスコンシン州議会からの、DEI(多様性・公平性・包摂性)プログラムへの予算削減圧力やテニュア(終身在職権)制度の見直し要求に対し、彼女は「言論の自由」という憲法上の原則を盾に大学の自治を死守しつつ、対話のパイプを断絶させない高度なバランス感覚(Sailing a tightrope)を発揮してきた。コロンビア大学理事会が注目したのは、まさにこの「公立大学での実戦経験」であったと言える。
かつてアイビーリーグの総長には、ノーベル賞級の学者や、ワシントンD.C.の社交界に顔の利く外交官タイプが好まれた。しかし、トランプ政権第2期において、私立大学はもはや「聖域」ではない。連邦議会による公聴会での糾弾、連邦研究資金の停止の脅し、そして大学基金(Endowment)への課税強化検討など、エリート私立大学もまた、公的な説明責任(Public Accountability)という嵐の中に放り込まれている。ヌーキン氏がウィスコンシンで確立したプレイブック――対立する政治勢力に対して学問の自由を「法的権利」としてロジカルに主張し、同時に透明性の高い経営(Stewardship)を示す手法――こそ、現在のモーニングサイド・ハイツが喉から手が出るほど欲しているものなのだ。
分断時代のガバナンスと資金のジレンマ
この「実戦型」リーダーシップへの転換は、財政面での切実な事情とも連動している。2024年から2025年にかけてハーバード大学やペンシルベニア大学の学長が相次いで辞任に追い込まれた「寄付者の反乱(Donor Revolt)」は、私立大学の統治構造を根底から揺るがした。ビル・アックマン氏のような「物言う寄付者」たちが、大学の運営方針に対して公然と介入し、資金引き揚げを武器に人事権を行使するようになった今、私立大学の学長職は、かつてのような「象牙の塔の守護者」ではなく、株主総会でアクティビストと対峙する「CEO」のような役割へと変質している。
さらに、トランプ政権下で議論が進む「エンダウメント(大学基金)課税」の強化案は、私立大学の財務基盤を直撃する可能性がある。以下のデータが示すように、課税対象となる大学の数は拡大の一途をたどっており、もはや「富裕な私立大学」というだけで安泰な時代は終わった。
米国大学基金課税対象校の増加推移 (2020-2026)
このグラフが示唆するのは、私立大学が「公共性」を証明できなければ、その富が剥奪される時代に突入したという現実である。ウィスコンシンからの招聘は、こうした政治的圧力に対する「免疫」を組織に取り込むための処方箋と言えるだろう。日本の大学が「指定国立大学法人」制度などを通じて経営の自律と公共性のバランスに苦心しているように、米国の私立大学もまた、公的な監視の下で「経営の正当性」を再構築しようともがいている。

日本の大学改革への示唆と新たな社会契約
コロンビア大学の決断は、日本の大学関係者にとっても対岸の火事ではない。日本政府が10兆円規模の大学ファンドを活用して世界トップレベルの研究大学を育成しようとする際、最も重視した条件の一つが「ガバナンス改革」であった。従来の教授会主導の意思決定から、学長と理事会によるトップダウン型の経営への転換である。今回の人事は、まさにこの「経営力」と「危機管理能力」こそが、現代の大学存続の要であることを証明している。
もし日本の大学が、この米国のトレンドを「特殊な政治状況の産物」として看過すれば、それは誤算となるだろう。トランプ政権下での公的資金への依存度が高い州立大学モデルのガバナンス――すなわち、納税者(国民)への徹底した説明責任と、政治的な波風を乗り越えるタフな交渉力――こそが、グローバルな競争環境と国内の厳しい財政制約の両方に直面する日本の大学にとって、最も参照すべき「生存戦略」となり得るからだ。
コロンビア大学は、閉鎖的なエリート主義よりも、公的な説明責任と政治的な交渉力に長けた「公立大学のガバナンス・モデル」こそが、現在の分断された社会における唯一の解毒剤であると判断した。このプラグマティズムへの転換が、失墜した大学への信頼を回復できるかは未知数だが、2026年の大学に求められているのは、外部からの圧力に屈することなく、しかし独善に陥ることもなく、社会と契約を結び直すという、極めて高度で痛みを伴う自己変革であることに変わりはない。