NATOの警鐘:欧州の防衛危機が映す日本の「自律」なき現実

自動的な安全保障の終焉
ブリュッセルのNATO本部で発せられたその言葉は、外交的な修辞(レトリック)の殻を破り、冷厳な現実として世界に響き渡った。2026年1月、NATO事務総長が記者団に対し「米国の支援なしに、欧州単独で現在の脅威を抑止することは不可能に近い」と認めた瞬間、戦後の西側諸国を支えてきた「自動的な安全保障」という神話は、音を立てて崩れ去った。
これは単なる欧州の悲鳴ではない。東京・永田町の政策決定者たちにとって、この発言は対岸の火事どころか、将来の自らの姿を映し出す鏡である。トランプ大統領(第2期)が掲げる「アメリカ・ファースト」は、もはや選挙スローガンではなく、同盟国選別のための冷徹な物差しとなった。ワシントンからのメッセージは明確だ。「自らを守る意志と能力を持たない国に、米国の若者の血を流す義務はない」。
かつて「核の傘」は、雨天には必ず開かれるものと信じられていた。しかし、今我々が目撃しているのは、その傘の持ち手が「自国の利益」という厳格な条件付きでしか動かなくなった現実である。防衛省防衛研究所の2025年版『東アジア戦略概観』が警告していたように、米国の内向き志向は、同盟国に対して「戦略的自律」か「従属的負担増」かの二者択一を迫っている。

トランプ2.0と「取引」される同盟
今朝、永田町の首相官邸の窓を叩く冷たい雨は、東京の防衛中枢に広がる冷ややかな認識を映し出していた。世間がニューヨークを埋め尽くす「世紀の嵐(Century Storm)」の混沌とした映像に釘付けになっている間、香川防衛副大臣は未明から夜明けまでの時間を、別の種類の災害と向き合って過ごしていた。それは、ブリュッセルでのNATO事務総長による非公開発言の記録である。「米国の兵站支援なしでは、欧州の通常戦力は数週間で崩壊する」という率直な告白は、単なる大西洋の同盟国からのSOSではなかった。日本にとって、それは未来からの亡霊であった。
政権2年目を迎え具体化した「トランプ2.0」ドクトリンは、日米同盟から「共有される民主的価値」という建前を剥ぎ取り、冷徹な取引台帳だけを残した。「アメリカ・ファースト」への回帰はもはやスローガンではなく、明確な運用上の現実となっている。先週、米原子力空母「ジョージ・ワシントン」が横須賀からの定期パトロール出航を見送った際、その理由は「バージニア州の造船所ストライキに関連した無期限のメンテナンス遅延」とされた。防衛省の内部メモによれば、これは単なる兵站上のトラブルではなく、米国の防衛産業基盤が労働力不足と政権によるグローバル・サプライチェーンからの急進的なデカップリング(切り離し)によって内向きに収縮していることの現れであるという。
三菱重工業のシニア調達アナリスト、山本武氏は、この変化を政策文書の中ではなく、ボーイング社との共同ドローン開発契約の突然のキャンセルという形で実感した。「技術移転が、新たな大統領令15024号の下で『国家安全保障上のリスク』と見なされるようになったと通告されました」と山本氏は語る。名古屋の工場ゲート前、本来なら新しい組立ラインが稼働しているはずだった場所で、彼は言葉を継いだ。「彼らはもはや『守り』を売っているのではなく、それを堤供する手段を囲い込んでいる。我々は、開かないかもしれない傘のためにプレミアム価格を支払っているのです」。経済産業省もまた、米国防衛産業の「囲い込み」傾向が日本のサプライチェーンに与える影響について懸念を強めており、山本氏の証言は個別の事例ではなく、産業界全体のトレンドを反映している。
この不安は、同盟の維持コストと、米軍の実質的なプレゼンスとの間に広がるギャップとして数値化されている。ワシントンが「ホスト・ネーション・サポート(思いやり予算)」の倍増を要求し、それをホワイトハウスが「公正な負担金(Fair Share Surcharge)」と呼ぶ一方で、インド太平洋における米軍資産の実際の展開は統計的に頭打ちとなり、主要な即応性指標においては低下さえ見せている。
乖離の拡大:在日米軍駐留経費負担 vs 米海軍パトロール日数 (太平洋, 2020-2026)
憲法9条にとって、この意味合いは実存的である。長らく日本の安全保障の心理的岩盤であった「核の傘」は、もはや保証ではなく、変動する規約(Terms of Service)を伴うサブスクリプション・サービスとして再評価されつつある。もし米国が、前払い請求書なしにバルト三国を守る意思がないのであれば、尖閣諸島での危機がワシントンの役員室で貿易赤字と天秤にかけられないと、どうして東京は信じられるだろうか。「反撃能力」獲得への急ぎ足は、もはや近隣諸国への抑止力ではなく、不在の同盟国に対する保険の意味合いを帯びている。
主権国家がその生存を変動する市場で購入しなければならないとしたら、どの時点で買い手は属国となり、守護者は傭兵となるのだろうか。
大西洋の鏡に映る東京
ブリュッセルから届いた「米国抜きでは欧州を防衛できない」というNATO事務総長の率直な告白は、永田町に冷や水を浴びせた。これは単なる大西洋の対岸の火事ではない。まさに「大西洋の鏡」に映った、日本の安全保障の脆弱な自画像そのものだからである。
欧州が直面している現実は、そのまま東アジアの近未来を予見させる。トランプ政権(第2期)の下では、同盟国との関係は「価値の共有」から「取引(ディール)」へと変質した。欧州諸国が防衛費の増額を迫られ、それでもなお米軍のコミットメント低下に怯える姿は、日米安全保障条約第5条に依存する日本の現状と不気味なほど重なる。かつて鉄壁と信じられていた「核の傘」を含む拡大抑止の信頼性が、ワシントンの政治的な気分次第で揺らぐ資産へと変わってしまったのである。
日本の防衛省関係者や安全保障アナリストの間では、長らくタブーとされてきた議論が現実味を帯び始めている。「もし台湾有事や尖閣諸島周辺での紛争が勃発した際、孤立主義を深める米国が、核保有国である中国との直接対決のリスクを冒してまで日本を守るだろうか?」という問いだ。欧州が突きつけられた「自律か、従属か」という二者択一は、もはや外交上のレトリックではなく、物理的な防衛能力の欠如という冷徹な計算式として日本に突きつけられている。
日・欧の米国依存度と防衛支出の推移 (対GDP比)
上のデータが示すように、日本の米国への安全保障依存度は、危機感を募らせる欧州諸国と比べてもなお高い水準にある。この「非対称な依存」こそが、トランプ政権との交渉において日本の足元を弱くしている最大の要因だ。欧州の苦悩は、日本に対して「米国が去った後の空白をどう埋めるのか」という、先送りの許されない宿題を突きつけている。
「自立」というタブー
防衛省の地下深く、あるいは永田町の密室で語られる「悪夢のシナリオ」は、もはや敵国の侵略ではない。それは、最大の同盟国であるアメリカが「梯子を外す」瞬間である。岸田政権下で決定された防衛費の対GDP比2%への増額、そしてトマホーク・ミサイルの大量購入は、あくまで「日米同盟の深化」を前提としたパズルの一部であった。しかし、2026年のワシントンから吹き荒れる「アメリカ・ファースト」の嵐は、その前提そのものを根底から覆そうとしている。
トランプ大統領が繰り返す「同盟国のフリーライド(ただ乗り)論」は、単なる交渉戦術の域を超え、現実的な政策として具現化しつつある。ホワイトハウスが示唆する「防衛義務の条件付き履行」は、日本にとって致命的な問いを突きつける。もしアメリカが、ロサンゼルスやニューヨークを危険に晒してまで、東京を守る意思を失ったとしたら? その瞬間、日本が積み上げてきた「敵基地攻撃能力」は、誘導システムや情報資産を米軍に依存しているがゆえに、張り子の虎と化すリスクを孕んでいる。元防衛研究所の主任研究員が「現在の装備体系は、米軍というOSがあって初めて動くアプリケーションのようなものだ」と警鐘を鳴らすように、自律性を欠いた軍拡は、同盟の空洞化という事態に対してあまりに脆弱である。
ここで浮上するのが、戦後日本が封印し続けてきた最大のタブー、すなわち「核のジレンマ」である。これまで憲法9条の議論は、「平和国家としての理想」と「現実的な抑止力」の間で揺れ動いてきた。しかし、アメリカという後ろ盾が揺らぐ今、議論の質は変質している。それはもはやイデオロギーの問題ではなく、純粋な生存戦略の計算式となった。ある自民党国防族議員はオフレコを条件に、「核共有(ニュークリア・シェアリング)の議論を避けて通れる時間は過ぎた」と漏らす。米国の拡大抑止が信頼性を失えば、日本は通常兵器のみで核保有国である隣国と対峙せざるを得なくなる。それは、冷戦期の均衡理論が崩壊し、圧倒的な非対称性の中に投げ出されることを意味する。
「盾」から「矛」へ
ブリュッセルでNATO事務総長が漏らした悲痛な告白は、本来、大西洋の対岸での議論にとどまるはずだった。しかし、この言葉は今、東京・市ヶ谷の防衛省内で、かつてないほどの重みと焦燥感を持って反響している。
北海道のレーダーサイトで勤務するある航空自衛隊幹部は、冬の荒波を見つめながらこう漏らした。「かつては『米軍が来るまで持ちこたえる』が我々の任務だった。だが今は、『来ないかもしれない』という前提で、シナリオを書き換えなければならない恐怖と戦っている」。
これは単なる感情的な不安ではない。数字がその危機を雄弁に語る。2025年度の防衛白書によれば、周辺国の極超音速ミサイルの配備数は、日本の迎撃システムの処理能力を既に3倍近く上回るペースで増加している。従来の「専守防衛」――すなわち、飛んできた矢を盾で防ぎ続けるだけの戦略――は、飽和攻撃の前には数学的に破綻しているのだ。さらに、トランプ政権が示唆する在日米軍駐留経費の大幅増額要求と、それに反比例するかのようなインド太平洋地域への関与縮小は、日本に突きつけられた最後通牒とも言える。
日本が長年演じてきた「盾」としての役割は、米軍という最強の「矛」があって初めて成立する分業だった。その矛が鞘に収められ、あるいは別の方向を向くとき、盾はただの標的となる。もはや選択肢は限られている。日本は、他国領域への直接的な反撃能力――自らの「矛」――を持つことへの心理的・法的抵抗を捨て去らねばならない。それは戦争を望むからではなく、戦争を抑止するための唯一残された言語だからだ。平和憲法の解釈を巡る神学論争を続けている間に、リアリズムの時計の針は深夜を回ろうとしている。自立した抑止力なき同盟は、もはや同盟ではなく、従属か遺棄の二択でしかないのだから。
