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アイビーリーグの生存戦略:コロンビア大学「執政官モデル」と学問の自由

AI News Team
アイビーリーグの生存戦略:コロンビア大学「執政官モデル」と学問の自由
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モーニングサイド・ハイツの寒風と異色の同盟

2026年1月、ニューヨーク市マンハッタン区モーニングサイド・ハイツ。ハドソン川から吹き付ける身を切るような寒風は、コロンビア大学の象徴であるロウ記念図書館の石段を白く凍てつかせていた。だが、この270年の歴史を誇るキャンパスを震え上がらせているのは、北米を襲った記録的な寒波だけではない。第2次トランプ政権が突きつけた「高等教育機関への連邦資金拠出見直し」という名の刃が、ついにアイビーリーグの喉元に届いたのである。

その震源地となる学長室の分厚いオーク材のドアの向こうで、決して交わるはずのなかった二つの個性が、奇妙かつ冷徹な同盟を結ぼうとしていた。一人は、憲法学の権威であり、長年コロンビアのリベラルな学風の守護者として教職員組合からの信頼も厚いレベッカ・ヴァンス教授(※)。もう一人は、この嵐の中、理事会によってウォール街から送り込まれた不良債権処理のスペシャリスト、マーカス・フェンティである。

「理想で暖房費は払えませんよ、教授」。フェンティの手元には、寄付金の激減と運営コストの高騰を示す深紅のグラフが置かれていた。かつてバイデン政権下で拡大したDEI(多様性・公平性・包摂性)プログラムへの巨額投資は、今やワシントンの新政権にとって格好の攻撃材料となり、同時に大学財政を圧迫する「不良資産」と化していた。

ヴァンスにとって、フェンティのような「企業再生の外科医」と手を組むことは、ファウスト的な取引に他ならない。しかし、彼女は象牙の塔の住人である以前に、憲法学者として「生存こそが権利行使の前提である」という冷厳な現実を知り抜いていた。彼女が選択したのは、大学の解体を防ぐために自らその解体の一部を指揮するという、苦渋の道であった。

ウィスコンシン・モデルの移植とアイビーリーグの焦り

二人が合意した再建計画は、学内では密かに「ウィスコンシン・モデルの再来」と囁かれている。かつて2015年にウィスコンシン州でスコット・ウォーカー知事(当時)が主導し、州立大学システムにおけるテニュア(終身在職権)の法的保護を撤廃した改革だ。当時、これは公立大学の「株式会社化」として激しい議論を呼んだが、2026年の現在、全米屈指の富裕な私立大学であるコロンビア大学が、自らの生存戦略としてこの手法を取り入れようとしている。

背景には、トランプ第2次政権下で加速する「高等教育への政治的介入」と、インフレおよび寄付金控除の見直し議論による「財政的圧迫」という複合危機が存在する。「今の大学運営において、教授会の合意形成を待つ時間は贅沢品になりつつある」と語るのは、米国の高等教育ガバナンスに詳しい教育コンサルタントのジェームズ・カーター氏だ。カーター氏は、コロンビア大学の動きを「防衛的な先制攻撃」と分析する。

一方で、この動きに対する学内の反発は根強い。教職員組合の代表を務める歴史学のアラン・ミラー教授は、「これは経営合理化の美名の下に行われる、学問的自律性の解体だ。短期的な政治圧力に屈してガバナンスの根幹を変えれば、大学は時の権力の出張所に成り下がる」と警鐘を鳴らす。しかし、2026年の現実は、この正論を「経営リスク」として処理しつつある。

ワシントンへの盾:制度的中立性という防壁

この改革の法的基盤を支えるのが、2025年秋に学務担当副学長(Provost)として招聘されたヴィクトリア・スターリングである。彼女は伝統的なアカデミズムの出身ではなく、企業再生弁護士としてのキャリアを持つ。「我々は意見を持たない。したがって、偏向も存在しない」。スターリングが打ち出したドクトリンは、大学の公式声明を全廃し、学長の政治的発言を禁止することで、大学を政治的な攻撃対象から守る「制度的中立性(Institutional Neutrality)」の徹底である。

コロンビア大学ロースクールの客員研究員であり、日本の国立大学ガバナンス改革にも詳しい山本博之氏(仮名)は、この状況を次のように分析する。「これは日本の国立大学が直面している『稼げる大学』への転換圧力とはまた異なる、より実存的な生存戦略です。スターリング氏の手法は、大学を守るために『大学の魂』である社会的良心を切り離す外科手術のように見えます」。

1月、トランプ大統領が署名した大統領令により、DEI関連予算への監視が強化された際も、コロンビア大学はスターリングの指揮下で即座に組織図を書き換え、「学生支援・学術成功部門」へと看板を掛け替えることで制裁を回避した。この神業のような「擬態」こそが、彼女がコロンビアにもたらした新しい統治の形である。

ウォール街への剣:投資対効果で測られる知性

一方、最高変革責任者(CTO)となったフェンティ氏は、内部に向けた「剣」を振るう。彼が導入したダッシュボードは、各学科を教育機関としてではなく「事業ユニット」として格付けし、厳格な「ROI(投資対効果)」で評価する。

比較文学の研究員である山本浩司氏(仮名)の専門である19世紀文学部門は、このダッシュボード上で「要改善」と表示され続けている。「かつては研究の独創性が評価されましたが、今は『その研究がどのドナー(寄付者)の意向と合致するか』が最初に問われます」と山本氏は語る。フェンティ氏の戦略は、アイビーリーグへのエンダウメント課税という脅威に対し、大学自らが「実学志向」へ舵を切ることで政治的防波堤を築くことにある。

「適合過剰」の罠:効率化が招く長期的リスク

生物学には「過剰適応」という概念がある。特定の環境に極端に最適化された種は、環境変化に脆くなる。2026年のコロンビア大学もまた、「短期的な経済合理性」という現在の環境に対し、危険なほどの過剰適応を試みている可能性がある。

2025年度の全米大学経営者協会(NACUBO)の報告書によれば、データサイエンスや防衛技術に関連する学部を拡充した大学は、収益増を記録する一方で、イノベーションの源泉である基礎研究の多様性が失われつつあるというデータもある。

基礎研究への配分比率と特許出願の相関 (2020-2026)

理論物理学のポスドク研究員、佐藤健太氏(仮名)は語る。「助成金申請書の最初の行に『産業界への即時的インパクト』を書かなければ、審査のテーブルにさえ乗らない」。効率化の名の下に「探索の余白」を排除することは、将来の可能性を自ら摘み取る行為になりかねない。

執政官モデルは大学経営の未来図か

コロンビア大学が選択した、学術管理と対外政治折衝を完全に分離する「執政官モデル(Consul Model)」への移行は、アイビーリーグの伝統に対する冒涜ではなく、生存本能の発露である。一方は「インターナル・チャンセラー」として学内を統治し、もう一方は「エクスターナル・プレジデント」としてワシントンと向き合う。古代ローマの執政官制度を彷彿とさせるこの「二頭体制」は、大学がもはや純粋な研究機関ではなく、高度な政治的駆け引きと資本管理を要する「多国籍企業体」へと変貌したことを意味する。

日本の大学関係者にとっても、この光景は対岸の火事ではない。少子化と交付金削減の中で進むガバナンス改革の行方は、コロンビア大学の実験と軌を一にしている。「教育の論理」と「経営の論理」をどう両立させるか。コロンビア大学の苦闘は、2026年の分断された世界において、大学が「魂」を売り渡さずに生き残るための、現代の寓話なのかもしれない。