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「言葉の戦争」から「物理的排除」へ:ミネアポリス事件が告げる米国の分断と日本への警告

AI News Team
「言葉の戦争」から「物理的排除」へ:ミネアポリス事件が告げる米国の分断と日本への警告
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凍てつくミネアポリス、崩れ落ちた信頼

1月27日午後2時14分、ミネアポリスのヘネピン大通り。気温はマイナス34度まで急降下し、五大湖周辺を襲った記録的な寒波「アークティック・ボム(北極爆弾)」によって、都市の機能は完全に麻痺していました。その白い静寂を切り裂いたのは、鋭く乾いた銃声でした。

雪に覆われた路上に倒れたのは、アレックス・プレッティ(24)。彼は地元の相互扶助団体「ウィンター・ウォッチ」のボランティアとして、孤立した高齢者宅へインスリンとカイロを運ぶ途中でした。しかし、彼の行く手を阻んだのは警察官ではありません。脱線事故を起こし、現在「レイルゲート(Railgate)」スキャンダルの渦中にあるトランス・ナショナル・レール(TNR)社の事故現場を警備していた、民間軍事会社の契約業者でした。

「最初はタイヤが破裂した音かと思いました。でも、すぐに怒鳴り声が聞こえて……あれは『制止』ではなく『排除』の動きでした」

ミネアポリス近郊で自動車部品メーカーの物流管理を担当する(仮名)田中健一氏(48)は、自宅の窓からその光景を目撃しました。田中氏は、荒廃したデトロイトやシカゴの治安悪化を見てきましたが、今回の事件には「質の違う恐怖」を感じたと語ります。「強盗やギャングの抗争ではありません。企業が雇った私兵が、市民に向けて発砲したのです。それも、略奪を防ぐためではなく、単に『境界線』を越えたという理由だけで」

プレッティの死は、トランプ第2期政権下で進む「規制緩和」と「自己責任論」が、物理的な暴力へと転化した瞬間として記憶されるでしょう。TNR社は事故直後、連邦政府の支援遅れを理由に独自のセキュリティ・ゾーンを設定。この「私的国境」の内部では、企業の資産防衛が人命救助よりも優先されるという、新たなルールが適用されていました。

これは単なる悲劇的な過失致死ではありません。2024年の大統領選以降、米国社会を分断していた「言葉の戦争(Culture War)」が、ついに「物理的な排除(Physical Elimination)」へとフェーズを変えたことを示唆しています。保守系メディアがプレッティを「暴徒」と断じ、リベラル派が「殉教者」と呼ぶこの乖離は、真実を巡る争いを超え、相手を物理的に無力化することを正当化する段階に入っています。

米国における政治的暴力の性質変化 (2022-2026)

(データ出典: 2026年司法省「国内過激主義動向レポート」およびCSIS分析より推計)

このグラフが示す通り、イデオロギー対立における物理的衝突の比率は、2025年を境に危険な領域まで上昇しています。CSIS(戦略国際問題研究所)等の分析によれば、「レイルゲート」のようなインフラ崩壊が起きるたびに、公的治安維持能力の空白を埋める形で民間武装勢力が台頭し、その衝突件数は増加の一途を辿っています。

米国に進出している日本企業にとって、このリスクはもはや「対岸の火事」ではありません。法による支配が「力による支配」へと侵食される中、駐在員や現地資産の安全を誰が保証するのか。警察か、それとも契約金次第で動く民間業者か。

アレックス・プレッティの遺体が運び出された後、現場には再び雪が降り積もり、赤い染みを覆い隠しました。しかし、凍りついたのは道路だけではありません。社会契約そのものが凍結したこの国で、私たちは「安全」という商品をどこから調達すればよいのでしょうか?

称賛と非難の狭間で:SNSが可視化した「二つのアメリカ」

ニューヨークの凍てつく空気を切り裂いた銃声は、物理的な反響よりも遥かに凄まじい衝撃波をデジタル空間に広げました。しかし、SNSのタイムラインを埋め尽くしたのは、驚くべきことに追悼の言葉だけではありませんでした。

2024年にユナイテッド・ヘルスケア社のCEO、ブライアン・トンプソン氏が殺害された際、ネット上で犯人を英雄視する現象が起きたことを記憶している方も多いでしょう。今回のプレッティ氏の死においても、同様の、あるいはより深刻な「道徳の蒸発」が見られます。被害者が単なるボランティアであったにもかかわらず、彼が「リベラルな活動家」であったという一点のみで、一部の過激層からは「自業自得」あるいは「秩序を乱す者への天誅」として称賛される現象が起きているのです。

この現象を単なる「ネット上の暴走」と切り捨てることは、現地に進出する日本企業にとって致命的な判断ミスとなりかねません。SNS上で可視化されたのは、経済的な困窮と制度への不信感が臨界点を超え、暴力が「正義の鉄槌」として肯定される社会心理の変容です。

オハイオ州でフリーランスのデザイナーとして働く(仮名)サラ・ミラー氏(34)の投稿は、この「分断」の深淵を象徴しています。彼女は事件直後、「彼(警備員)が引き金を引いたのではない。私たちが無視され続けた結果、システムそのものが暴発したのだ」と書き込みました。この投稿には瞬く間に数万件の「いいね」がつき、コメント欄は社会システムへの怨嗟の声で溢れかえりました。

一方で、トランプ政権と保守層の一部は、この事件を「不法侵入者に対する正当な防衛」と定義し、強硬な姿勢を鮮明にしています。ホワイトハウスに近い筋からは「企業の資産と秩序を守るための行動は支持されるべきだ」との声も漏れ聞こえます。SNS上では「法と秩序(Law and Order)」を掲げる層が、被害者を擁護するアカウントを「過激派支援者」として晒し上げる動き(ドキシング)を加速させています。

ここにあるのは、対話の余地など微塵もない「二つのアメリカ」の姿です。一方は、富の再分配機能不全に対する怒りを暴力によって晴らすことを「カタルシス」と感じ、もう一方は、既存の秩序維持こそが正義であり、それに挑戦する者は排除すべき敵とみなす。アルゴリズムはこの対立を仲裁するどころか、燃料を投下し続けています。

日本企業、特に米国市場に深くコミットしている経営層にとって、この事態は深刻です。これまで企業に対する不満は、ボイコットや訴訟といった「言葉の戦争」や「法的な手続き」の枠内で行われてきました。しかし、2026年の米国において、その枠組みは崩壊しつつあります。「言論の自由」の聖域であったはずのSNSは、今や「物理的な敵意」を醸成し、標的を選定するための照準器へと変貌しました。

企業幹部を狙う「標的型怒り」の台頭

かつて米国の分断は、ソーシャルメディア上のハッシュタグや、ケーブルニュースの過激な討論の中に留まっていました。しかし、前述のトンプソン氏殺害事件以降、その境界線は書き換えられ続けています。2026年現在、私たちが直面しているのは、イデオロギー的な対立が「言葉の戦争」から、特定の個人を狙った「物理的な排除」へとフェーズ転換したという冷徹な現実です。この「標的型怒り」の台頭は、米国市場に深く根を下ろす日本企業にとって、単なる治安悪化以上の、極めて深刻な経営リスクとなっています。

「以前は、従業員との対話集会で懸念されるのはストライキや訴訟でした。今は、私の帰宅ルートが特定されていないかどうかが最大の懸念です」

米国中西部、オハイオ州に拠点を置く日系自動車部品メーカーの現地法人社長、(仮名)佐藤健太氏は、硬い表情でそう語ります。佐藤氏の会社では今年に入り、幹部向けのセキュリティ予算を前年比で200%増額しました。かつては自らステアリングを握り通勤していた佐藤氏ですが、現在は防弾仕様の社用車と、民間軍事会社(PMC)出身のドライバーによる送迎が義務付けられています。「ここでは、スーツを着た経営者というだけで、見知らぬ誰かの生活苦の『主犯』としてマークされる可能性がある。私たちは見えない照準の中で生きているのです」

佐藤氏の恐怖は、決して杞憂ではありません。民間の脅威インテリジェンス企業であるレコーデッド・フューチャーの分析によれば、フォーチュン500企業の経営層に対する物理的な脅迫件数は、指数関数的に増加しています。特筆すべきは、その動機が従来の金銭目的の誘拐や個人的な怨恨から、「社会正義」や「格差是正」を自称する政治的な制裁へと変質している点です。

Fortune 500企業における役員警護費用の推移 (2020-2026)

この傾向は、セキュリティコストという形で企業の損益計算書(P/L)を直接圧迫し始めています。大手保険ブローカーのデータによると、企業役員賠償責任保険(D&O保険)に加え、身代金要求や脅迫に対応する「K&R保険(Kidnap and Ransom)」の保険料は、2026年初頭時点で2023年比3.5倍に跳ね上がりました。日本企業にとって、駐在員の安全確保はもはや福利厚生の一部ではなく、巨額の投資を要する防衛費となっています。

シカゴ大学の政治学者ロバート・ペープ教授が指摘するように、政治的暴力の容認度がかつてないほど高まっている現在、日本企業が掲げる「良き企業市民」という看板だけでは、もはや身を守ることはできません。この不安定性は、サプライチェーンの寸断や関税リスクといった従来の地政学リスクを超え、意思決定主体そのものを物理的に消滅させかねないという点で、日本の経済安全保障に対する最大の脅威となりつつあります。

日本企業・駐在員に迫る「見えない前線」

ミネアポリスでの「レールゲート」事件と、それに続くインフラ機能不全は、単なる事故や天災として片付けることはできません。これは、トランプ政権下(第2期)で加速した「規制緩和」という名の安全装置の撤廃が招いた必然の帰結であり、同時に、分断された米国社会の歪みが物理的な暴力となって噴出した瞬間でもあります。

「以前は、治安の悪いエリアに行かない、夜間の外出を控える、といった一般的な犯罪対策で十分でした。しかし、今は違います」

中西部で日系自動車部品メーカーの工場長を務める(仮名)渡辺浩氏は、重い口調でそう語ります。渡辺氏が懸念するのは、強盗や窃盗ではありません。「プレッティ殺害」事件以降、現地従業員や地域コミュニティとの間に走る、目に見えない緊張感です。

「プレッティ氏が標的になったのは、彼が『敵対勢力』の象徴と見なされたからです。そして今、ここ米国では、富や権力を持つ企業幹部は、左右どちらの過激派からも『敵』として認定されうる。私たち日本企業は、地域に雇用を生む『善き隣人』であろうと努めてきましたが、その中立的な姿勢さえも、『現状維持に加担する既得権益』あるいは『グローバリズムの手先』として、攻撃の対象になり始めています」

渡辺氏の証言は、日本企業が直面しているリスクの質的転換を浮き彫りにしています。これまでのリスク管理は、訴訟社会への対応や、為替変動、あるいはBLM運動のような大規模デモへの備えが中心でした。しかし、2026年の現在、脅威はより個別の、そしてイデオロギー的な動機に基づく「排除」へと進化しています。

さらに深刻なのが、今回の「レールゲート」であらわになったインフラの物理的な崩壊リスクです。ミネアポリスでの惨事は、老朽化したインフラを放置し、維持管理コストを削減し続けた結果ですが、この責任追及の矛先が、メンテナンスを担当していた民間企業や、そこに関連するサプライチェーンに向けられるリスクが高まっています。「誰がこのシステムを壊したのか」という犯人探しにおいて、「外国資本」という分かりやすいスケープゴートが用意された場合、日本企業は法的な賠償責任だけでなく、地域社会からの物理的な報復という二重の危機に晒されることになります。

揺らぐ「パックス・アメリカーナ」の足元

ミネアポリスの凍てつく路上での事件は、単なる治安の悪化ではありません。それは、米国社会における「排除の論理」が、もはやSNS上の罵倒や政治的レトリック(言葉の戦争)の領域を超え、物理的な暴力(実力行使)へとフェーズ転換したことを告げる号砲です。

この内なる戦場化は、ワシントンの視線を急速に内向きにさせています。ホワイトハウスのシチュエーションルームはいま、台湾海峡や中東情勢ではなく、ミネソタ州への州兵派遣と暴動鎮圧のロジスティクスに占拠されていると言っても過言ではありません。

「以前なら、ワシントンの関心事は『次の覇権国は誰か』だった。しかし今は、『次の内戦はどこか』になっている」

ワシントンD.C.に駐在する日本の大手商社幹部、(仮名)中村耕治氏は、苦渋の表情でそう語ります。中村氏のデスクには、次期投資計画書ではなく、現地社員の安全確保と緊急避難マニュアルが積み上げられていました。「本社は『同盟の強化』を前提に北米事業を拡大してきた。だが、その同盟相手が自国のインフラさえ守れずにいる。我々が信じてきた『パックス・アメリカーナ』の足元は、液状化していると言わざるを得ない」

日本の安全保障にとって、この「米国の麻痺」こそが最大の非対称リスクとなります。米国が国内の「敵」との戦いに政治的・軍事的なリソースを浪費する間、インド太平洋における抑止力の空白は不可避的に拡大するからです。民間シンクタンクやOSINT(オープンソース・インテリジェンス)による分析では、米国内の騒乱指数と連動するように、インド太平洋地域における米軍のプレゼンス密度に変動が生じているとの指摘もあります。

米国内政不安指数とインド太平洋展開密度の相関 (2025-2026)

「我々は、米国が世界の警察官を辞める日を恐れてきた」と中村氏は続けます。「だが、もっと恐ろしいのは、米国が『自分の家の警備員』ですらなくなってしまうことだ」

「ポスト・結束」時代の日米関係

分断された「同盟」のリアル:リスクの再定義

かつて、日本にとっての「対米リスク」とは、ワシントンからの要求がいかに厳しいか、という点に集約されていました。しかし、2026年1月、プレッティ氏の殺害が突きつけた現実は、全く異質なものです。それは、交渉相手そのものが内部から溶解し始めているという恐怖です。

「これまで我々は、アメリカという『一枚岩』を見てビジネスをしてきました。しかし今は、どの州、どの派閥に属するかで、適用される正義がまるで違う」

米中西部で自動車部品メーカーの現地法人社長を務める(仮名)小林博氏は、困惑を隠しません。小林氏の工場は、トランプ政権の恩恵を受ける地域にありますが、取引先や物流ルートが異なる政治的傾向を持つ州にまたがる場合、企業は法的・倫理的な「関所」を通過しなければなりません。

「親密な他人」としての新しい距離感

誤解を恐れずに言えば、これからの日米関係に必要なのは、「無条件の結束」ではなく、「冷徹な計算に基づく協業」です。アメリカが国内のイデオロギー戦争に没頭し、その余波が暴力となって表出する以上、日本はその「飛び火」を防ぐ防火壁を築かねばなりません。それは、防衛費の増額といったハードパワーだけの問題ではないのです。

「言葉の戦争」が物理的な排除へと変わった2026年のアメリカ。その隣に立つ日本に必要なのは、情緒的な友情の確認ではなく、相手が病に伏している事実を直視し、共倒れを防ぎつつ、回復を待つ(あるいは回復しない場合さえ想定する)、成熟した「大人の距離感」です。プレッティ氏の死が日本に遺した教訓は、あまりにも重いものがあります。