[小児医療] OCD診断の「6年の空白」:早期発見を阻む「良い子」の壁と2026年の課題
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10歳の少女を襲った「止まらない思考」
ニーナ・ヒグソン=スウィーニー医師(Dr. Nina Higson-Sweeney)にとって、その「声」が聞こえ始めたのは10歳の時だった。現在、英国バース大学で児童・青年のメンタルヘルスを専門とする彼女は、2020年代初頭から自身の体験を積極的に発信し続けているが、2026年の今、改めて当時の記憶を紐解く。
「自分は悪い人間になってしまったのではないか」。そんな強迫観念が、ある日突然、日常を侵食し始めた。学校の教室に座っていても、家族と夕食を囲んでいても、脳裏には自分の意思とは無関係な「恐ろしいイメージ」や「禁止された言葉」がフラッシュバックのように現れる。それを打ち消すためには、特定の儀式――数を数える、特定の手順で物に触れる、頭の中で言葉を唱える――を完璧に遂行しなければならなかった。
当時の彼女を最も苦しめたのは、症状そのものよりも「誰にも言えない」という孤独感だった。親に知られれば嫌われるかもしれない、異常だと思われるかもしれないという恐怖から、彼女は必死に「普通」を演じ続けた。しかし、内面での戦いは激化する一方で、学業や友人関係にも亀裂が生じ始めた。

転機が訪れたのは、発症から4年が経過した14歳の時である。専門医の診断を受けた瞬間、彼女は「安堵」という言葉では表現しきれない救いを感じた。「それは私の性格の問題でも、私が邪悪な人間だからでもなく、『強迫性障害(OCD)』という医学的な状態だったのです」。診断は、彼女にとって「レッテル」ではなく、暗闇の中で現在地を知るための「地図」となった。
世界との乖離:診断までの「失われた時間」
ヒグソン=スウィーニー医師の事例は、決して特殊なものではない。しかし、2026年現在の日本において、この問題はより深刻な様相を呈している。
AIによる早期スクリーニング技術や遠隔医療の導入が進む欧米の先進モデル地域では、発症から診断までの期間が平均1.5年〜2年程度まで短縮されつつあるという報告もある。対照的に、日本では依然として「性格の問題」や「しつけの問題」として片付けられ、近年の国内メンタルヘルス関連の推計によると、適切な医療につながるまでに平均で6年以上を要するケースが珍しくない。
OCD発症から診断までの平均期間比較(推計)
この「失われた時間」は、単なる期間の長短ではない。本来ならば健やかに育まれるはずだった自己肯定感や、学業・社会生活の機会が損なわれていることを意味する。子供が発する無言のSOS――過度な手洗い、繰り返される確認行為、あるいは理由のわからない強い不安――を、親や周囲の大人が「一過性の癖」として見過ごさず、医学的な視点で捉え直すことが重要である。
「手洗い」だけではない:誤解される症状の本質
強迫性障害(OCD)という言葉から、多くの日本人が最初に連想するのは「潔癖症」あるいは「過剰な手洗い」だろう。しかし、現代の精神医療の現場で特に注視されているのは、外からは見えにくい「強迫観念(Intrusive Thoughts)」という内なる苦しみである。
子供たちが抱えるOCDの多くは、手洗いのような目に見える行動よりも、頭の中から離れない「不快なイメージ」や「恐ろしい予感」との戦いに費やされている。都内の心療内科に通う中学1年生、鈴木優斗さん(仮名・13歳)のケースは、この誤解がいかに発見を遅らせるかを示唆している。
優斗さんの症状は、一般的に想像される清潔志向とは異なっていた。「もし自分が何もしなければ、家族が事故に遭うかもしれない」という強烈な不安が、毎晩彼を襲っていた。彼はその不安を打ち消すために、玄関の鍵が閉まっているかを「4回」確認し、特定の順序で廊下を歩くという儀式を繰り返していた。親の目には、単なる「几帳面な性格」や「反抗期特有のこだわり」としか映らず、SOSが見過ごされていたのである。

「良い子」ほど発見が遅れるパラドックス
教育現場や家庭において、最も見落とされやすいのが「優等生」の仮面を被ったOCDである。学校の成績が良く、礼儀正しく、親の言いつけを守る子供たちの中にこそ、深刻な苦悩が隠されているケースがある。
専門家らによると、学校での問題行動が少ない児童ほど、周囲が「強迫症状」を「真面目な性格」や「責任感の強さ」として好意的に解釈し、受診に至るまでの期間が長期化する傾向にあるという。
都内の私立中学に通う佐藤優奈さん(仮名・13歳)は、毎朝登校前に教科書が時間割通りに入っているかを何度も確認していた。両親はこれを「慎重さ」と捉えていたが、実際には彼女の頭の中で「確認しなければ家族に不幸が訪れる」という強烈な強迫観念が渦巻いており、確認行為が完了するまで玄関から一歩も動けない状態に陥っていた。子供は「親を心配させたくない」「変だと思われたくない」という一心で、必死に儀式(強迫行為)を日常動作の中にカモフラージュする。
家庭で気づくためのチェックポイント
子供の行動において、「几帳面さ」と「強迫性障害(OCD)」の境界線を見極めるにはどうすればよいのか。専門家が指摘する決定的な違いは、その行動が子供本人に「安らぎ」をもたらしているか、それとも「苦痛」を伴う回避不可能な儀式となっているかという点だ。
2026年の現代医療において強調されているのは、目に見える「強迫行為」の背後にある、目に見えない「強迫観念」への気づきである。
- 再確認行動(Reassurance Seeking): 単なる確認とは思えない頻度で「これで大丈夫?」「間違っていない?」と繰り返し尋ねる。これは子供が自分の記憶や判断を信用できず、親に外部メモリとしての役割を求めている状態と言える。
- ルーチンの変化: 特定の数字へのこだわり、左右対称への過度な執着、あるいは「不吉な色」や「特定の道」を極端に避けるといった回避行動。
- 「巻き込み」: 親に対して、特定の言葉を言うように強要したり、手順に参加させようとする。
診断は「レッテル」ではなく「地図」である
多くの親にとって、わが子に診断名がつくことは、ある種の烙印を押されるような恐怖を伴うものかもしれない。しかし、OCDは「扱いの難しい性格」ではなく、「適切な介入によって管理・寛解可能な医学的状態」である。
脳科学の知見によれば、子供の脳は可塑性が高い。この時期に、薬物療法と並んで効果的とされる認知行動療法(CBT)、特に曝露反応妨害法(ERP)を導入することで、強迫観念に対する脳の反応パターンを効果的に書き換えることが可能になるとされている。
1.5年と6年。この数字の差を埋めることができるのは、社会の認識と、親の観察眼にかかっている。診断を恐れて受診を先延ばしにすることは、地図を持たずに遭難し続けることに等しい。親がその「地図」を手に取る勇気を持つことこそが、子供を孤立から救い出すための最初にして最大の鍵となるのである。