[産業地政学] 600億ドルのバーター:カナダ・韓国「潜水艦×バッテリー」密約と日本の誤算
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北米要塞の亀裂と「ソウルの握手」
2026年1月、オタワの国会議事堂周辺には、例年以上の寒波と共に、南の国境から吹き付ける「保護主義の隙間風」が吹き荒れています。かつて世界で最も強固と言われた米国との経済国境は、トランプ政権2期目の始動と共に、その不可逆的な変容を露わにし始めました。ホワイトハウスが掲げる「普遍的基本関税(Universal Baseline Tariffs)」構想は、USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)という既存の枠組みさえも交渉のテーブルに乗せ、カナダ経済の根幹を揺さぶっています。
この地政学的緊張の最前線に立つのは、オンタリオ州で自動車部品工場を経営するデビッド・マクドナルド氏(仮名)です。「かつてミシガン州との国境は、単なる地図上の線に過ぎませんでした。しかし今、私たちは毎朝、ワシントンの大統領令ひとつでサプライチェーンが寸断されるリスクに怯えています」とマクドナルド氏は吐露します。彼の工場では、北米市場向けのEV(電気自動車)部品を製造していますが、部材コストの不確実性は2025年比で既に15%近く上昇しています。この「北米要塞」の亀裂こそが、カナダ政府をかつてないほど大胆な外交転換へと突き動かしている最大の要因です。
カナダにとって、長年の課題であった「対米依存からの脱却」は、もはやスローガンではなく生存戦略となりました。しかし、欧州は独自の規制と緩慢な意思決定プロセスに縛られ、中国とのデカップリングは安全保障上の絶対条件となっています。そこで浮上したのが、急速な意思決定と強力な製造基盤を持つ韓国という選択肢でした。

ソウルからのアプローチは、極めて実利的かつ戦略的でした。韓国政府と財閥系企業は、カナダが渇望する「EVバッテリーのエコシステム」と「次期潜水艦(CPSP)」を、別個の商談ではなく、包括的な安全保障・経済パッケージとして提示しています。これは単なる装備品の売り込みではありません。米国が内向きになる中で、中堅国家(ミドルパワー)同士がリソースを補完し合う「水平的な同盟」の実験場とも言えるでしょう。
トランプ関税を迂回する「産業の防波堤」
2026年1月、オタワとソウルの間で交わされた新たな自動車・バッテリー分野の包括的協力覚書(MOU)は、表面上は脱炭素社会の実現を謳っていますが、その行間にはより切迫した地政学的な意図が刻印されています。トランプ政権が再燃させた関税の脅威に対し、カナダは自国の産業基盤を米国市場への依存から、より多層的な供給網へとシフトさせる「産業の防波堤」を急ピッチで構築しているのです。
オンタリオ州ウィンザーで自動車部品メーカーを営むデビッド・クラーク氏(仮名)は、現場の危機感をこう吐露します。「ワシントンからの風向きが変わるたびに、我々の工場のラインが止まるリスクをこれ以上放置できない」。クラーク氏の工場は長年、デトロイトのビッグスリー向けに特化してきましたが、2025年後半からの米国の保護主義的圧力により、受注見通しが不安定化していました。そこに救いの手を差し伸べたのが、LGエナジーソリューションやステランティスが進める大規模バッテリー工場へのサプライチェーン参入です。韓国勢によるこれらの投資は、単なる民間ビジネスの枠を超え、カナダ政府が求める「経済安全保障の多角化」に対する明確な回答となっています。
カナダの輸出依存度と多角化の必要性 (2025年実績)
上図が示す通り、カナダの貿易構造は依然として米国に極端に偏重しています。この「一本足打法」のリスクが顕在化した今、わずか1.2%のシェアに過ぎない韓国との連携強化は、数字以上の意味を持ちます。それは、北米という巨大な経済圏において、米国以外の「産業パートナー」を確保し、自律性を保つための唯一の現実的な解となりつつあるのです。
600億ドルの影:CPSPと「バーター取引」の本質
この産業協力を日本の産業界、特に防衛・重工関係者が注視すべき理由は、これが600億カナダドル(約6兆円)規模とされる次期潜水艦導入計画(CPSP)の行方を決定づける「バーター(交換条件)」として機能しているからです。
オタワの国防省関係者が「世紀の契約」と呼ぶCPSPは、単なる老朽化したビクトリア級潜水艦の更新事業ではありません。トランプ政権下での北米防衛産業基盤の再編をかけた、国家ぐるみの産業闘争へと変貌しています。韓国側は、現代重工業やハンファオーシャンによる潜水艦建造技術の提供に加え、バッテリー産業のエコシステムごとカナダに移植するという、極めて包括的なパッケージを提示しています。
「性能で日本に勝てないなら、雇用で勝つ」。これが、ハンファオーシャンとHD現代重工業を擁する「チーム・コリア」の明確な戦略です。オンタリオ州ウィンザー市では、LGエナジーソリューションとステランティスの合弁工場が稼働を開始し、数千人規模の雇用が生み出されたことは、トルドー政権にとって支持率回復の命綱となりました。韓国政府はこの「産業貢献」を、潜水艦商戦のテーブルに巧みに載せているのです。

カナダ国防省に近いシンクタンクのレポートは、この力学を冷徹に分析しています。「日本の『たいげい型』潜水艦は静粛性と潜航能力において世界最高水準にある。しかし、日本が提案しているのは『完成品の輸出』に過ぎない。対して韓国は、造船技術の移転と現地サプライチェーンの構築、そして自動車産業での追加投資という『国家経済パッケージ』を提示している」。
敗北する日本の「高潔な」提案
三菱重工業と川崎重工業が建造する最新鋭潜水艦「たいげい」型は、間違いなく世界最高水準の静粛性と潜航能力を誇ります。しかし、オタワの政治中枢で繰り広げられている議論は、東京の想定とは全く異なる次元で進行しています。2026年、トランプ政権による圧力に晒されるカナダにとって、防衛調達は単なる兵器の購入ではなく、国家経済を守るための「取引材料」へと変質しているのです。
「日本は『良いものを作れば売れる』という20世紀の神話の中に生きている」と指摘するのは、オタワでロビー活動の動向を分析する防衛コンサルタントの佐藤健太氏(仮名)です。「韓国勢のアプローチは、潜水艦を売るのではなく『産業エコシステム』を売りに来ている。彼らはカナダ国内での現地建造のみならず、造船所の買収や技術移転、さらには全く別分野であるEVバッテリー工場への投資までをパッケージにして提示している」
カナダ次期潜水艦事業(CPSP)における競合比較(2026年1月時点)
日本の提案はあまりに硬直的です。「防衛装備移転三原則」の運用指針が緩和されたとはいえ、技術流出を極度に恐れる日本側は、カナダ側が求める「現地建造」や「完全な技術移転」に対して慎重な姿勢を崩していません。日本側が提示するのは「信頼」という無形の資産ですが、雇用と票を求めるカナダの政治家にとって、それは韓国が提示する「工場と雇用」という有形の資産よりも魅力的に映るでしょうか。
「防衛×産業」複合外交という新常態
オタワとソウルの間で交わされたこの「異業種交換」とも言える合意は、2026年という時代が突きつける新たな地政学的現実を冷徹に映し出しています。防衛装備品の選定における決定的な要因として、従来の「性能」「価格」「同盟」に加え、第4の要素「産業的貢献(Industrial Contribution)」が決定的重みを持つようになっています。
防衛省関係者や商社幹部の間でささやかれる懸念は、日本の「縦割り行政」の限界です。防衛装備移転は防衛省と外務省、産業投資は経済産業省と、管轄が分断されたままでは、韓国のようなトップダウン型のクロスセクター取引(バーター)に迅速に対応することは困難です。相手国が求めるものが「潜水艦」というハードウェアだけでなく、「エネルギー安全保障」や「雇用創出」という社会インフラである以上、日本側も「オールジャパン」の戦略的パッケージを提示する必要があります。
2026年の世界において、中堅国家が生き残るための条件は、自国の強みを他国の弱みを補完するために使う「戦略的互恵」の具体化にあります。カナダと韓国の事例は、防衛と経済を別個の事象として扱う時代の終わりを告げています。日本がこの「複合外交」という新常態(ニューノーマル)に適応し、技術力に見合った外交的果実を得るためには、省庁の壁を超え、官民が一体となって「国益の総和」を最大化する新たな交渉モデルへと脱皮することが求められているのです。