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[中国外交] 英国への「一方的ビザ免除」:実利優先の非対称戦略と日本の孤立リスク

AI News Team
[中国外交] 英国への「一方的ビザ免除」:実利優先の非対称戦略と日本の孤立リスク
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北京からの意外な招待状

2026年1月、北京の人民大会堂。中国の習近平国家主席が、就任後初となる訪中を果たした英国のキア・スターマー首相を迎えた場面は、分断が深まる国際情勢において、一際異彩を放つ瞬間となった。米トランプ政権(第2期)が「アメリカ・ファースト」を掲げ、同盟国に対しても強硬な通商政策を突きつける中、北京からロンドンへ届けられたのは、外交儀礼の常識を覆す意外な「招待状」であった。

会談の席上、中国政府は突如として、英国国民に対するビザ免除措置の拡大を発表した。具体的には、観光、ビジネス、親族訪問を目的とした中国への入国について、最大30日間の滞在をビザなしで認めるというものである。特筆すべきは、これが外交上の通例である「相互主義(Reciprocity)」に基づいたものではなく、英国側に対して即時の同様な措置を求めない「一方的(Unilateral)」な決定である点だ。

通常、ビザの緩和交渉は、双方が同等の利益を交換する長い実務者協議を経て合意に至るのが定石である。しかし、今回の決定は、手続き的な均衡よりも経済的な実利を優先する中国指導部の戦略的な転換を如実に物語っている。新華社通信の報道によれば、習氏はスターマー首相に対し、「中英関係の新たな可能性」を強調し、貿易障壁の低減を呼びかけたとされる。これは、かつてキャメロン政権下で謳われた英中関係の「黄金時代」の再来を、中国側が主導して演出した形に近い。

この「一方的な雪解け」の背景には、2026年の中国経済が直面している構造的な課題がある。不動産市場の調整局面が長期化し、内需の弱さが指摘される中、外資の呼び込みは至上命題となっている。特に、トランプ政権による対中関税の引き上げやハイテク規制の強化によって北米ルートが細る中、欧州、とりわけロンドンの金融資本や技術との再接続は、中国にとって安全保障に近い重みを持つ。

スターマー政権にとっても、この提案は複雑な意味を持つ。人権問題や安全保障上の懸念から対中強硬論が根強い英国内世論を意識しつつも、ブレグジット以降の低迷する英国経済にとって、巨大市場へのアクセス改善は無視できない魅力である。ロンドンのシティ(金融街)関係者の間では、この措置がビジネス渡航のハードルを劇的に下げるとして歓迎する声が上がっている。ある大手銀行のアジア部門担当者は、「政治的な緊張とは裏腹に、実務レベルでの往来が簡素化されることは、現場にとって最大の支援だ」と実利を評価する。

「チャイナ・トラベル」の経済的焦燥と実態

習近平政権が英国を含む欧州諸国へ向けて切った「一方的ビザ免除」というカードは、外交的な雪解けを演出するソフトパワー戦略として語られがちだ。しかし、その深層を解剖すれば、長期化する不動産不況と内需の停滞に直面した中国経済が、外貨と外国資本(FDI)を渇望する「経済的焦燥」の表れに他ならない。

2026年に入り、トランプ政権による「米国第一主義」が関税障壁を再び高く積み上げる中、中国にとって欧州市場との結びつきは生命線となりつつある。SNS上で拡散される「チャイナ・トラベル(China Travel)」のハッシュタグは、一見すると観光立国の成功に見えるが、実体経済の数字はその華やかさとは裏腹な厳しさを示している。国家統計局のデータや民間エコノミストの分析を総合すると、昨年の対中直接投資は過去数十年来の低水準に落ち込んでおり、外資系企業の撤退や縮小が相次いでいるのが現実だ。

中国への海外直接投資(FDI)の推移 (2022-2025)

この統計的な急落を現場の肌感覚として裏付けるのが、長年上海で貿易実務に携わってきた (仮名) 佐藤健太 氏の証言である。「以前であれば、ビザの壁は中国側が外交的優位性を保つためのカードでした。しかし現在は、地方政府レベルでも『とにかく来てほしい』という必死さが伝わってきます。欧州からのバイヤーを招待する際の手続きが簡素化されたのは助かりますが、その背景には、国内の消費マインドが冷え込み、在庫が滞留しているという切迫した事情があるのです」と、佐藤氏は現地の空気を分析する。

英国に対するビザ免除は、まさにこの文脈で理解すべきだ。英国経済もまた、ブレグジット後の構造的な課題に加え、世界的なインフレの波に揉まれている。中国にとって、対米関係が膠着する中で、英国を「実利」で取り込むことは、経済的なメリットだけでなく、西側諸国の結束に楔を打つ地政学的な意味合いも帯びる。

Five Eyesへの楔と「迂回ルート」

北京が打ち出した英国市民に対する「一方的なビザ免除措置」は、単なる観光促進策の枠を超え、安全保障の要衝である「ファイブ・アイズ(Five Eyes)」の結束を試すリトマス試験紙としての側面を帯びている。トランプ大統領(第2次政権)が同盟国に対しても対中デカップリング(切り離し)への同調圧力を強める中、中国政府はこの隙を突き、経済的実利を「楔(くさび)」として打ち込んだ形だ。

ロンドンのシティ(金融街)では、この動きを冷徹な実利主義で捉える動きが顕著だ。EU離脱後の英国経済が新たな成長エンジンを模索する中、中国市場へのアクセス改善は、ワシントンの意向とは異なる独自の引力を持っている。特に、米中対立の激化により、米国企業が中国での活動を縮小せざるを得ない間隙を縫う形で、英国企業が「迂回ルート」として機能し始めている事実は見逃せない。

ロンドンに拠点を置く日系商社の戦略担当、(仮名) 山本浩司 氏は、現場の空気感の変化を次のように証言する。「以前であれば、対中投資はワシントンの顔色を窺いながら慎重に進めるものでした。しかし現在は、米国が極端な保護主義に走る中で、英国企業とのパートナーシップを通じて中国市場との接点を維持しようとする動きが、水面下で活発化しています」。山本氏が指摘するように、直接的な対中ビジネスが地政学的リスクに晒される日本企業にとって、英国という「クッション」を介したアプローチは、リスク分散の新たな選択肢となりつつある。

この「迂回ルート」の構築は、中国側にとっても計算尽くの戦略だ。米国との直接対決を避けつつ、西側諸国の中に「経済的対話派」を温存させることで、完全な包囲網の形成を阻止する狙いがあると考えられる。国際通貨基金(IMF)や英国家統計局(ONS)のデータを基にした分析では、米中間の直接投資が停滞する一方で、英中間のサービス貿易や人的交流は、政治的緊張とは裏腹に底堅い推移を見せている。

英中・米中間の貿易・交流トレンド比較 (2024-2026予測)

日本が直面する「不平等な愛」

上海・浦東国際空港の入国審査ゲート。英国のパスポートを手にしたビジネスマンたちが「Visa-Free(ビザ免除)」のレーンを足早に通り過ぎていくその横で、日本の商社マンたちは依然として、事前のビザ取得や煩雑な入国手続きの列に並ぶことを余儀なくされている。2026年1月、中国政府が英国に対して一方的に踏み切ったビザ免除措置は、日本の経済界に「冷厳な現実」を突きつけた。

かつて日本人が享受していた「15日間のノービザ滞在」は、コロナ禍以降、停止されたままである。日本政府や経団連は再開を繰り返し要望してきたが、中国側は「相互主義」を盾に、日本側にも同様の免除措置を求める姿勢を崩していない。しかし、今回英国に対して適用されたのは、英国側からの見返りを求めない「一方的」な免除である。なぜ、英国には「片思い」を許容し、隣国である日本には頑なに「対等」を求めるのか。その背景には、トランプ大統領(第2期政権)による「アメリカ・ファースト」の嵐が吹き荒れる中での、中国の緻密な計算が見え隠れする。

「まるで、踏み絵を踏まされている気分だ」。大阪に本社を置く中堅化学専門商社の中国事業部長、(仮名) 田中宏 氏は、焦りを隠さない。田中氏の会社は、環境規制の強化に伴い需要が急増している新型触媒の中国市場開拓を狙っているが、欧州のライバル企業に比べて現地入りへの初動が遅れがちだという。「ドイツやフランス、そして今回のイギリス。欧州勢は思い立ったら翌日には上海の会議室に座れる。我々はビザの申請書類と格闘することから始めなければならない。この『スピードの格差』は、変化の激しい2026年の市場において致命傷になりかねない」

中国にとって、英国へのビザ免除は、対米包囲網を切り崩すための「低コストで効果的なカード」である。地理的に離れており、直接的な安全保障上の脅威となりにくい欧州諸国とは異なり、日本は米国のインド太平洋戦略における「要石(キーストーン)」だ。トランプ政権が主導する先端半導体規制やサプライチェーンのデカップリング(分断)において、日本は最も忠実なパートナーとして振る舞っている。中国外交筋に近い北京のシンクタンク研究員は、「日本へのビザ免除再開は、日本が米国一辺倒の姿勢を改め、独自の対中姿勢を示すかどうかの『リトマス試験紙』として温存されている」と分析する。

G7主要国に対する中国のビザ免除状況と対中ビジネス心理(2026年推計)

開かれた国境、監視される訪問者

「一方的な雪解け」と称される中国の対英ビザ免除措置は、物理的な国境のハードルを劇的に下げたが、それは必ずしもビジネスにおける「心理的な安全性(安心)」や「法的な予測可能性」の向上を意味しない。

マンチェスターに拠点を置くサプライチェーン・コンサルタント、(仮名) アーサー・ウィリアムズ 氏は、この新制度を利用して深センの提携工場を視察した一人だ。「以前のような煩雑なビザ申請書類や招待状の準備から解放されたことは、間違いなく歓迎すべき変化です」と彼は語る。しかし、彼の荷物は以前よりも奇妙なほど軽い。企業のセキュリティ部門からの強い勧告により、彼は主要な業務データが入ったラップトップとスマートフォンを香港に残し、データが空の「クリーン・デバイス(使い捨て端末)」のみを携行して本土入りしたからだ。

「入国は容易になりましたが、現地での会話やデータへのアクセスには極度の神経を使います」とウィリアムズ氏は吐露する。これは単なる過剰反応ではない。2023年の反スパイ法改正を経て、2026年の現在においても、中国における「国家の安全と利益」の定義は依然として広範かつ曖昧なままだ。通常の商慣行である市場調査や競合分析、あるいはサプライチェーンの透明性を確認するためのデューデリジェンス(適正評価手続き)でさえ、当局の解釈次第では「スパイ行為」とみなされるリスクが潜んでいる。

日本企業にとっても、この英国の事例は他山の石ではない。ジェトロ(日本貿易振興機構)や民間のリスクコンサルティング会社が繰り返し警鐘を鳴らしてきたように、中国国内のデータセキュリティー法は、国境を越えたデータの移転に厳しい網をかけている。英国からのビジネス客は、中国市場の活況をその目で見ることはできても、その詳細なデータをロンドンの本社に持ち帰る際には、厳格なセキュリティ評価という別の「国境」に直面することになる。

トランプ政権(第2期)による対中関税の強化やデカップリング圧力が強まる中、中国が欧州や英国に対して秋波を送る理由は明白だ。経済的実利を得るために「玄関」は広く開放する。しかし、その一方で、反スパイ法という「監視カメラ」は、訪問者の一挙手一投足を以前にも増して鮮明に捉えている。この非対称な構造こそが、現在の中国ビジネスにおける最大の懸念材料であり、企業には「歓迎」の裏にあるリスクを冷徹に見極める高度な危機管理能力が求められている。