[米司法の深層] 「トランプ2.0」の行政権拡大に抗う保守派判事――ミネアポリスからの警告
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厳格な倫理学者が鳴らした警鐘
2026年1月、記録的な寒波「ミネアポリス・フリーズ」が都市機能を麻痺させる中、ミネアポリス連邦裁判所の法廷内では、外の猛吹雪以上に冷徹かつ激しい「司法の嵐」が吹き荒れていた。法壇に座るパトリック・シュルツ判事は、決して感情を露骨に表に出すタイプの法曹ではない。ジョージ・W・ブッシュ元大統領によって任命された生粋の保守派であり、判事就任前はセント・トーマス大学ロースクールで法曹倫理を説いたアカデミズムの権威でもある。その彼が、移民税関捜査局(ICE)の代理人弁護士に対し、顔を紅潮させながら机を叩いた瞬間、法廷内の空気は一変した。
「あなた方は、裁判所に対して嘘をつくことが『行政裁量』の範疇だとでも考えているのか」
シュルツ判事の激昂は、単なる感情の爆発ではない。それは、自身が長年研究し、学生たちに説き続けてきた「法廷に対する誠実義務(Duty of Candor)」が、連邦政府の代理人によって踏みにじられたことへの根源的な怒りであった。この日、ICE側は収容施設の劣悪な環境――暖房システムの故障により、収容者が氷点下の独房に放置されていた事実――を隠蔽したまま、強制送還手続きの正当性を主張していたことが発覚したのである。トランプ政権2.0が掲げる「国境管理の厳格化」と「迅速な送還」という至上命題の下、現場の行政官たちが法的手続きの適正さ(Due Process)を「効率の阻害要因」と見なし始めていたことが、この隠蔽工作の背景にあった。

通常、保守派判事は行政権の行使に対して寛容な立場を取ることが多い。しかし、シュルツ判事にとって、それはあくまで「法と倫理の枠内」での話である。かつて著名な法律事務所でパートナーを務め、数々の複雑な訴訟を扱ってきた実務家としての経験、そして法曹倫理の専門家としての自負が、政府による「司法軽視」を許さなかったのだ。彼はICE側の弁明を遮り、「この法廷において、真実は交渉材料ではない。それは前提条件だ」と断じた。この言葉は、単に一人の判事の信条吐露にとどまらず、加速する行政権の肥大化に対する司法府からの強烈な警告(イエローカード)として機能した。
96回の法廷侮辱と「無法」の常態化
2026年1月、ミネソタ州連邦地方裁判所の記録に残された数字は、米国の法曹界のみならず、ワシントンの政策観測筋にも衝撃を与えた。「96回」。これは、わずか1ヶ月の間に、移民・関税執行局(ICE)が同裁判所の明示的な命令に違反した回数である。
通常、連邦機関による裁判所命令違反は、年に数件あれば「スキャンダル」として扱われる重大事案だ。しかし、今回の事態は、釈放命令が出ていた被収容者の拘束継続、退去強制処分の保留命令(ステイ)を無視した移送、そして弁護人との接見妨害といった、人身の自由に関わる重大な違反が、あたかも日常業務の一環であるかのように繰り返された点に深刻さがある。パトリック・シュルツ判事が法廷で述べた「驚くべき(stunning)」という表現は、司法の現場が直面している当惑を端的に表している。
ミネソタ連邦地裁におけるICEの命令違反件数推移(月平均)
連邦政府側は、当初これを「トランプ2.0」政権下での急激な政策転換に伴う「現場の混乱」や「事務的過誤」として説明しようとした。確かに、新政権による「ゼロ・トレランス(不寛容)」方針の復活と、それに伴う現場職員への圧力は、事務処理能力の限界を超えていた可能性がある。しかし、シュルツ判事が指摘したのは、能力不足(incompetence)の問題ではなく、司法判断を軽視する組織文化(culture)の問題であった。
特筆すべきは、命令違反の多くが「連絡不徹底」ではなく、司法判断が下された後も、行政側が独自の判断基準で執行を強行しようとした形跡が見られる点だ。あるケースでは、裁判所が被収容者の即時釈放を命じた数時間後に、ICEが新たな拘束理由を後付けで作成し、身柄の拘束を継続しようとした事例も確認されている。これは、行政機関が司法のチェック機能を「遵守すべきルール」ではなく、「回避すべき障害物」と見なし始めている兆候と解釈できる。
保守派判事が守ろうとした「一線」
ミネソタ州連邦地方裁判所の法廷で、パトリック・シュルツ判事が発した怒りは、単なる感情の爆発ではなかった。それは、ジョージ・W・ブッシュ元大統領によって任命され、長年にわたり保守的な法解釈を堅持してきた「法の番人」が、行政府の暴走に対して突きつけた「制度的拒絶」の瞬間であった。
シュルツ判事は、一般的に「リベラルな活動家判事」とは対極に位置する人物である。彼はカトリックの知的伝統に深く根ざし、法律の文言を厳格に解釈するテクスチュアリストとして知られてきた。その彼が、移民関税執行局(ICE)の代理人に対し、「連邦裁判所の権威を軽視している」と公然と叱責した事実は、現在の米国で起きている対立が、従来の「民主党対共和党」という単純な図式では捉えきれないことを示唆している。

彼が守ろうとした「一線」は、人道的な配慮や移民の権利擁護といった政治的な領域にあるのではない。それは、司法手続きそのものの神聖さと、三権分立という統治構造の根幹である。ICEの捜査官が裁判所の命令を無視し、あるいは法廷で不誠実な証言を行った疑いが持たれた際、シュルツ判事が示した反応は、無法状態(アナーキー)を何よりも嫌う保守主義者としての本能的な防衛反応であったと言える。
法曹界の重鎮である高橋良介氏(国際法学者)が指摘するように、シュルツ判事の行動原理は「秩序の維持」にある。トランプ政権が掲げる「アメリカ・ファースト」の政策遂行において、効率性やスピードが重視されるあまり、デュー・プロセス(適正手続)が軽視される傾向が強まっている。これに対し、保守派判事たちは、自らが信奉する法治国家の原則が内側から浸食されることに強い危機感を抱いているのである。
複合危機下のミネアポリスと機能不全
ミネアポリスは今、文字通り「凍てつく都市」と化している。2026年1月、北米大陸を襲った記録的な寒波「ポーラー・ボルテックス(極渦)」の影響により、市内の気温は日中でもマイナス30度を下回る日が続いている。しかし、市民を震えさせているのは、物理的な寒さだけではない。老朽化したインフラの崩壊と、連邦行政機関による強硬な法執行が同時に進行する「複合危機(Compound Crisis)」が、都市の機能を麻痺させつつあるのだ。
トランプ政権の第2期目において、インフラ投資の優先順位が大きく変更された影響は、地方都市の現場に色濃く表れている。ミネアポリスでは、猛吹雪による送電網の寸断が発生し、数千世帯が暖房を失う事態となった。通常、こうした非常事態宣言下においては、人命救助とライフラインの復旧が最優先される。警察や消防、そして連邦機関も含めたすべての公的リソースが、市民の安全確保に向けられるのが、近代国家における「社会契約」の基本であるはずだ。
しかし、今回ミネアポリスで観測された現実は、その常識を覆すものであった。停電で信号機が停止し、除雪が追いつかない混乱の最中、ICE(移民関税捜査局)の車両が特定の居住区を封鎖し、大規模な摘発作戦を展開していたことが、複数の現地報道や住民の証言によって明らかになっている。
ミネアポリス市内で自営業を営むデビッド・チェン氏は、当時の状況を次のように証言する。「道路は凍結し、救急車さえ到着が遅れる状況でした。その中で、武装した捜査官たちがアパートのドアを叩き壊している光景は、治安維持というよりは、何か別の戦争が起きているかのような錯覚を覚えさせました。災害という非常時に、法の守り手であるはずの政府機関が、むしろ恐怖の源になっていたのです」

アメリカの「制度的免疫」と日本の備え
ミネソタ州の連邦法廷でパトリック・シュルツ判事の怒号は、単なる一過性の感情的爆発ではない。それは、トランプ第2次政権下で急速に肥大化する行政権力に対し、アメリカの司法制度が自律的に作動させた「免疫反応」であると言える。保守派判事が、本来ならば政治的信条を共有しうる政権側の機関(ICE)に対して法の遵守を迫った事実は、米国において「法の支配」が党派を超えた最後の防波堤として機能していることの証左であり、希望である。
しかし、免疫反応が高熱を伴うように、この対立はアメリカ社会という生体の深刻な消耗を意味してもいる。
ニューヨークに拠点を置く日系商社で法務顧問を務める佐藤健太氏は、この事態を静かな危機感を持って見守っている。「これまでは、連邦政府の決定は最終的に裁判所で是正されるという『予見可能性』がビジネスの前提でした。しかし、現場の執行機関が司法判断を軽視し、あるいは無視するような兆候が見え始めた今、その前提が揺らいでいます」。佐藤氏が指摘するように、司法の権威が現場レベルで侵食されれば、米国に進出する日本企業にとっても、法的保護の確実性が担保されないリスクが高まることになる。
日本にとって、この「制度的免疫」の行方は、単なる他国の内政問題ではない。日米同盟の基盤は、軍事的な協力関係だけでなく、民主主義と法の支配という共通の価値観に根差しているからだ。もし米国の司法制度が行政権の圧力に屈し、あるいは執行機関の暴走を止められなくなれば、条約や国際合意の履行においても「アメリカの約束」の信頼性が揺らぐ恐れがある。
我々日本人に求められるのは、米国を一枚岩の超大国として見るのではなく、内部で激しい制度的闘争を繰り広げている「流動的な巨象」として捉え直す視点だ。ホワイトハウスの発言だけでなく、地方の連邦地裁で起きている無名の判事と行政官の攻防にこそ、この国の民主主義の現在地が表れている。アメリカの「制度的免疫」がウイルスを克服して抗体を獲得するのか、それともサイトカインストーム(免疫暴走)を起こして機能不全に陥るのか。その結末は、太平洋の対岸にある我々の「安心(あんしん)」の行方をも左右することになるだろう。