【正義の空白】英国学校虐待事件:手続きの壁と日本への教訓

過去からの告発:なぜ今、英国の「失態」を振り返るのか
2026年の現在、情報の消費サイクルはかつてないほど加速している。しかし、デジタルの奔流の中で決して埋没せず、亡霊のように蘇り続けるニュースがある。我々はこれを「ゾンビ・ニュース」と呼ぶ。解決されたかのように見えながら、その実、司法の不全によって決着を見ないまま放置された事案たちだ。英国で数年前に発覚し、この1月、再び世論を震撼させている名門寄宿学校における児童虐待事件と、それに続く検察の失態は、まさにその典型である。
この事件の本質は、加害行為の残酷さもさることながら、それを裁くはずの法執行機関が「手続き上のミス」という信じがたい理由で訴追を断念した点にある。英国検察庁(CPS)は当時、有力な証拠と複数の被害証言を確保していたにもかかわらず、証拠開示手続き(ディスクロージャー)における重大な過誤を犯した。被告人に有利となる可能性のある資料を弁護側へ適切に開示しなかったという、初歩的だが致命的なミスである。この手続き違反を理由に、裁判所は公訴の続行を「公正な裁判(Fair Trial)を侵害する」として棄却。結果として、明白に見えた事実は法廷で審理されることなく、被告人は無罪放免に近い形で社会に戻ることとなった。

なぜ今、この「過去の失敗」が2026年の日本にとって重要なのか。それは、この英国の事例が、形式的な「法の適正手続き(Due Process)」が、被害者の救済という「実体的正義(Substantive Justice)」を阻害した極端なケーススタディであるからだ。
英国における司法の混乱は、対岸の火事ではない。日本でも近年、性犯罪規定の改正や、子どもと接する職業に就く際に性犯罪歴の確認を義務付ける「日本版DBS」の導入など、児童保護のための法整備が急ピッチで進められてきた。しかし、制度というハードウェアがいかに整備されようとも、それを運用するソフトウェア、すなわち捜査機関や検察の能力、そして司法の現場における厳格な運用規律が伴わなければ、正義は容易に画餅に帰す。
手続きの壁:正義を阻んだ「たった一つのミス」
英国の寄宿学校で数十年にわたり繰り返された組織的虐待。その被害者たちが沈黙を破り、2020年代半ばにようやく法廷へと辿り着いた勇気は、冷徹な「手続きの瑕疵」によって打ち砕かれた。この事例は、法の適正手続きが守られるべき正義の盾であると同時に、運用次第では被害者を二度傷つける鋭利な刃となり得ることを、現代日本に突きつけている。
問題の本質は、加害側の弁護団が執拗に指摘した「訴状送達の遅延」という、実体的真実とは無関係な形式上の不備にあった。英国の民事訴訟規則において、期限をわずか数時間過ぎた書類提出が「致命的な手続きミス」と見なされ、長年の証拠積み上げが審理の入り口で棄却されたのだ。ロンドンで法曹実務に携わる (仮名) 佐藤健太氏は、「これは単なる事務的失態ではない。効率性と形式的厳格さを過度に重視する近年の司法環境が、正義の質を損なっている証左だ」と指摘する。
日本においても、刑事・民事の両面で「手続きの正義」は憲法上の大原則である。しかし、2023年の刑法改正で性犯罪の公訴時効が延長されたとはいえ、証拠保全の難しさや、被害者が声を上げるまでに要する「沈黙の時間」への法的配慮は、依然として解釈の揺れの中に置かれている。最高裁判所の司法統計を基にした分析によれば、重大な虐待事案において、手続き上の不備や時効の壁によって実体審理に至らなかったケースは、依然として看過できない割合で存在している。
主要国における児童虐待事件の公訴時効(2026年時点・法務省比較資料より作成)
この英国の悲劇は、トランプ政権下の米国が推進する「司法の効率化・規制緩和」というグローバルな潮流とも無縁ではない。迅速な解決という経済的合理性の下で、複雑な感情や長い時間軸を伴う虐待被害が、チェックリストの一項目として処理される危うさが浮き彫りになっている。日本国内の法曹関係者の間でも、デジタル庁主導で進む裁判のIT化において、システムによる形式チェックが「被害者の個別事情」を切り捨てるリスクが議論され始めている。
終わらない悪夢:司法による二次加害と「制度的裏切り」
2026年1月、ロンドンの法廷で下された判決は、被害者たちの間で「沈黙の絶望」として受け止められた。厳格な証拠能力の審査と、被告人の権利保護を最優先する手続的正義(Due Process)の徹底は、結果として、長年にわたる虐待の事実認定を法的に不能なものとした。法の番人であるはずの司法制度が、被害者の訴えを「証拠不十分」として退けた瞬間、それは単なる敗訴ではなく、社会が公的に虐待の事実を否定したかのような、強烈なメッセージとなって被害者を襲った。
長年にわたり被害者支援団体の活動に参加してきた佐藤氏は、判決後の心境を「魂の殺人」と表現する。「加害者が罰せられないことへの怒り以上に、自分たちが勇気を振り絞って語った真実が、法という巨大なシステムによって『存在しなかったこと』にされた無力感が、被害者を最も深く傷つけます」。彼らにとって、司法プロセスそのものが、かつての虐待現場と同様の、逃げ場のない閉鎖的な暴力装置と化してしまうのだ。
この現象は、心理学や法社会学の分野で「制度的裏切り(Institutional Betrayal)」として定義されている。信頼していたはずの組織や制度が、被害者を保護するどころか、適切な対応を怠ったり、隠蔽に加担したりすることで、トラウマを悪化させる現象だ。英国の王立精神科医学院(RCPsych)が指摘しているように、虐待被害者が法廷で受ける厳しい反対尋問や、事実認定における過度に高いハードルは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状を深刻化させる「二次加害」の典型的な要因となり得る。

日本への警鐘:改正刑法と日本版DBSの死角
英国の裁判所が下した「公正な裁判が不可能」という判断は、単なる一国の司法判断にとどまらず、現在進行形で性犯罪規定の厳罰化と予防システムの構築を進める日本の法曹界および教育現場に、鋭い突き上げを行っている。2023年の刑法改正により、「不同意性交等罪」が新設され、公訴時効も延長された。しかし、今回の英国の事例が浮き彫りにしたのは、法制度がどれほど整備されようとも、運用の現場における「時間の壁」と「手続きの壁」が、実質的な免罪符となり得るという冷厳な現実である。
特に深刻な懸念は、日本版DBS(Disclosure and Barring Service)の実効性にある。こども家庭庁が主導し、性犯罪歴のある人物を教育・保育現場から排除するこの仕組みは、あくまで「前科」の有無を照会の基準としている。今回のようなケースで、もし日本で同様に「裁判の打ち切り」や「不起訴」となった場合、加害者は法的には「無実」であり、DBSのスクリーニング対象外となる可能性が極めて高い。
首都圏で私立学校の顧問弁護士を務める (仮名) 山本浩二氏は、現場の苦悩を次のように語る。「我々が最も恐れているのは、法的に『シロ』とされた人物のリスク管理です。DBSは確定判決に基づくシステムですが、教育現場が直面するのは『噂はあるが逮捕されていない』、あるいは『示談で解決済み』とされる人物の採用可否です」。英国の事例は、司法が手続きを優先して事実認定を放棄した場合、その人物が再び子供たちの前に立つことを、制度として防げない恐れがあることを示唆している。
性犯罪認知件数と検挙・起訴の乖離 (2020-2025)
上図が示す通り、認知件数の増加は社会的な意識の変化を反映しているが、起訴件数の伸びは緩やかであり、その差(ダークフィギュア)は依然として大きい。この「司法の網にかからない層」が、DBSのデータベースには決して登録されないという事実は重い。
結論:システムは「痛み」を記憶できるか
法的手続きの完遂は、必ずしも正義の実現と同義ではない。英国で発生したこの学校内虐待事件が突きつけた冷徹な現実は、法が「形式的公正」を追求するあまり、「実体的真実」を置き去りにした時、社会にどのような亀裂が走るかを浮き彫りにした。証拠採用の技術的な不備や、時効制度の硬直的な解釈によって加害者が法の網を抜けたこの事例は、被害者の尊厳よりもシステムの整合性を優先させた「法の敗北」として、2026年の法制史に深く刻まれることになるだろう。
「安心(Anshin)」という社会的資本は、市民が「法は最終的に自分たちを守ってくれる」と信じられる土壌があって初めて成立する。英国の事例が示したのは、その信頼が崩れた時の社会的コストの高さだ。被害者が司法に見放されたと感じた時、その不信感は司法制度だけでなく、公教育や行政全体への不信へと波及する。
システムは「痛み」を記憶できるか──。これが、我々が英国の失敗から学ぶべき最大の問いである。法制度が過去の過ちを単なるデータとして処理するのではなく、二度と同じ悲劇を繰り返さないための構造的な教訓として「記憶」し、自己修正機能を働かせることができるか。2026年、グローバルな法基準の収斂が進む中で、日本が提示すべきは、厳格な手続き遵守と、被害者の納得感を両立させる高度に成熟した司法のモデルであるはずだ。