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[救急医療] 韓国が乳児CPR指針を改定:「両親指法」一本化が示す救命現場のパラダイムシフト

AI News Team
[救急医療] 韓国が乳児CPR指針を改定:「両親指法」一本化が示す救命現場のパラダイムシフト
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深夜の静寂を切り裂くように、その瞬間は訪れる。「子供が息をしていない」。生後数ヶ月の乳児を持つ親にとって、これほど恐ろしい悪夢はないだろう。救急車が到着するまでの平均時間は、都市部でも約8分から9分と言われている。この「空白の数分間」に、親やその場に居合わせた大人が適切な心肺蘇生法(CPR)を実施できるかどうかが、小さな命の運命を決定づける。

しかし、2026年の現在に至るまで、乳児に対するCPRは多くの救助者に「迷い」を強いてきた。従来の国際的なガイドラインでは、救助者が1人の場合は「中指と薬指の2本」で、2人の場合は「両手の親指」で圧迫するという、状況に応じた使い分けが推奨されてきたからだ。

「ただでさえパニック状態の時に、自分の指の位置や人数を冷静に判断するのは不可能です」。ソウル市内の救急救命センターで勤務する朴ジフン氏(仮名)は、現場の苦悩をそう吐露する。「2本指での圧迫は、想像以上に力が要ります。必死に押しているつもりでも深さが足りなかったり、指が滑って内臓を圧迫してしまったりするリスクが常にありました」。

今回、大韓心肺蘇生協会が改定したガイドラインは、この長年のジレンマに一つの明快な答えを出した。「救助者の人数に関わらず、一般市民は『両親指法』を第一選択とする」。この変更の核心は、医学的な厳密さよりも、緊急時における「実行可能性(Feasibility)」を優先した点にある。これは単なる手技の変更ではなく、救助の現場から「選択」という認知負荷を取り除く、人間工学的なパラダイムシフトである。

なぜ「二本指」は廃止されたのか

長年、乳児に対するCPRのスタンダードとして教育現場や育児書で推奨されてきた「二本指圧迫法」。しかし、大韓民国疾病管理庁が発表した改定ガイドラインにおいて、一般市民向けの救助法からこの手法が事実上除外されたことは、救急医療の現場に静かな衝撃を与えた。なぜ、慣れ親しまれた技術は「廃止」へと舵を切ることになったのだろうか。

最大の要因は「有効な圧迫深度」の確保という物理的な課題である。乳児への胸骨圧迫は、胸郭の厚さの約3分の1、具体的には約4cmの深さまで垂直に押し下げる必要がある。しかし、人差し指と中指の二本だけでこの深さを確保し、かつ1分間に100~120回という高速なリズムを維持することは、解剖学的にも構造学的にも極めて困難であることが近年の研究で明らかになっている。特に、指先の筋力に依存するこの手法は、一般的な成人女性や高齢者が救助者となる場合、十分な胸腔内圧を生み出せないケースが散見された。

実際、2024年に欧州蘇生協議会(ERC)等のデータを元に行われたシミュレーション研究では、二本指法を行った救助者の多くが開始からわずか60秒で「有効な圧迫深度」を下回ったという結果も報告されている。二本の指という不安定な支点は、疲労により力が斜めに逃げやすく、結果として心臓へのポンプ作用が不十分になるだけでなく、意図しない肋骨への負荷を強めるリスクも指摘されていた。

都内の大学病院で小児救急に携わる佐藤健太医師(仮名)は、従来の指導法が抱えていたジレンマについてこう指摘する。「教科書通りのフォームができても、実際に血液が脳に届いていなければ蘇生の意味を成しません。二本指法は日常的に訓練を受けている医療従事者であれば有効な選択肢ですが、突発的な事故に直面しパニック状態にある保護者にとっては、再現性の低い『難易度の高い技術』だったのです」。

「両親指包み込み法」という解

これに対し、今回韓国で推奨が強化された「両親指圧迫法(胸郭包み込み法)」は、乳児の背中を両手の手のひら全体で支え、両手の親指を重ねて胸骨を押すスタイルである。この方法の決定的な利点は、末端の指の筋力ではなく、手全体と上腕の力を効率よく利用できる点にある。背中を面で支えることで体幹が安定し、親指を通じてより強い力を、より長く、一定の深度で加え続けることが可能になる。

医学的な観点から見ると、この手法の最大の利点は、より高い冠動脈灌流圧を生み出せることにある。背中を支える指がカウンターウェイトの役割を果たし、親指による下向きの力と、背中側からの支えによる力が相まって、心臓をより効率的にポンプさせることが可能になる。2025年版の国際的な蘇生ガイドライン(CoSTR)においても、この手法が二本指法と比較して、より深い圧迫深度を維持しやすく、かつ適切なリコイル(胸壁の戻り)を確保しやすいというデータが示されている。

現場での「再現性」という観点も無視できない。都内の保育施設で働く鈴木美咲氏(仮名)は、以前の講習で二本指法を学んだ際の違和感をこう振り返る。「指が反ってしまい、力が逃げている感覚がありました。人形相手でも数分続けると指がつりそうになり、もし本番だったら本当に命を救えるのか不安でした」。

これに対し、両親指包み込み法は、日本の製造業における「フールプルーフ(誤操作防止)」の思想にも通じるものがある。誰もが、どんな状況でも、一定の品質(=救命効果)を出せるようにプロセス自体を設計し直す。韓国のガイドライン改定は、単なる手技の変更ではなく、救命行為における「ユニバーサルデザイン」の追求であると捉えることができる。

「誰でもできる」が命を繋ぐ

この簡素化は、少子高齢化が極まる2026年の日本社会にとっても重要な示唆を含んでいる。共働き世帯の増加に伴い、祖父母が孫の保育を担う「孫育て」が社会インフラの一部となる中、高齢者がいざという時に第一発見者となるケースは増加傾向にある。加齢により指関節の柔軟性や指先の力が低下した高齢者にとって、従来の指2本での圧迫は物理的に困難であり、十分な圧迫深度を確保できないリスクが指摘されてきた。

都内の自治体が主催する救命講習に参加した山本裕子氏(68・仮名)は、この技術的な変化を歓迎する一人だ。「数年前に習った指2本の方法は、自分の指が折れそうで怖くて力が入りませんでした。いざという時に孫を守れるか不安でしたが、両手で包む方法なら、孫を抱きかかえる感覚に近く、迷わず力を込められる確信が持てます」と山本氏は語る。

完璧な医療技術を追求するあまり、バイスタンダーの実施率が下がってしまっては本末転倒である。韓国の事例が示唆するのは、乳児の生存率を向上させるための最短ルートは、専門的な技術の高度化ではなく、誰もが直感的に実践できる「ユニバーサルデザイン」の思想を救急医療に導入することにあると言えるだろう。