[学術外交] 分断の時代の生存戦略:漢陽大「対中連携」の1年と日本の大学の選択
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凍てつく米中関係と「学術の架け橋」
2026年1月、ワシントンから吹き荒れる「アメリカ・ファースト」の寒波は、学術の現場をも凍りつかせている。トランプ政権2期目が本格始動し、先端技術分野における対中デカップリング(切り離し)がかつてない強度で進行する中、東アジアの大学は極めて難しい選択を迫られている。米国によるAIや半導体関連の研究規制が強化され、「学術の自由」と「国家安全保障」の境界線が曖昧になる中、韓国・漢陽大学が2025年1月に発足させた「中国同文未来戦略委員会」の存在意義が、1年という時を経て改めて問われている。当時、米中対立の激化を見越して打たれたこの布石は、単なる同窓会組織の再編ではなく、国家間のパイプが詰まりを見せる時代における、大学独自の「外交インフラ」構築という生存戦略であったことが鮮明になりつつある。
多くの大学が「リスク回避」の名の下に中国との連携を縮小させる中、漢陽大学の動きは逆行しているように見えたかもしれない。しかし、トランプ大統領の再登板が現実のものとなった今、この動きは「リスクヘッジ」として機能し始めている。政治的な表層雪解けが見通せない中、民間レベル、特に学術・人的ネットワークという「毛細血管」の血流を維持しようとする試みだからだ。漢陽大学が着目したのは、37万人規模と言われる同校の卒業生ネットワーク、特に中国国内で活躍するOB・OGとの結びつきである。これは、大学経営における財政基盤の安定化(中国人留学生の確保)という実利的な側面だけでなく、有事の際に機能しうる「トラック2(民間外交)」のチャンネルを確保するという、安全保障にも似た戦略的意味合いを帯びている。

この戦略の成否を、日本の大学関係者は複雑な思いで見つめている。都内の私立大学で国際連携を担当する佐藤健太氏(仮名)は、「科学技術協力協定の先行きさえ不透明な中、大学独自でどこまで踏み込んでよいのか、現場は萎縮している」と吐露する。佐藤氏の懸念は、文部科学省が求めるセキュリティ・クリアランス(適性評価)の厳格化と、大学経営の生命線である留学生受け入れ拡大という相反する要請の板挟みになっている現状に根差している。「漢陽大のように、同文(同じ文化的背景)というソフトパワーを前面に出して中国との絆を再定義するアプローチは、政治的な『踏み絵』を迫られる日本にとっても一つの参照点になりうる」と佐藤氏は指摘する。
実際、2026年のキャンパス風景は変わりつつある。米国が特定の研究分野から中国籍の研究者を事実上排除する動きを見せる中、その受け皿として、あるいは米中双方と対話可能な「中立地帯」としての日韓の大学の役割は、逆説的に高まっているとも言える。漢陽大学の委員会が掲げた「実用的学風」と「親中派ではなく知中派の育成」というスローガンは、イデオロギー対立を超えた実利主義的な生存本能の表れだ。これは、少子化(2026年には日本の18歳人口はさらに減少局面にある)による定員割れ倒産のリスクに怯える日本の大学にとっても、無視できないリアリズムを含んでいる。
「人材」という名の安全保障
ソウル市内の私立大学で工学部の研究室を運営する朴ジフン教授(仮名)は、2026年の春、ある「静かな異変」を目の当たりにした。かつては韓国人の修士・博士課程の学生で溢れていた研究室のメンバー構成が、ここ数年で劇的に変化したのだ。現在、彼の研究室に所属する12名の研究員のうち、半数を超える7名が中国からの留学生またはポスドク研究員で占められている。「政治的なニュースを見れば、韓中関係は冷え込んでいるように見えるでしょう。しかし、現場の『研究のエコシステム』は、彼らなしではもはや回りません」と朴氏は語る。
これは朴氏個人の問題ではなく、韓国の高等教育界全体が直面する構造的な現実である。急速に進む少子化(少子高齢化)は、大学経営における「定員割れ」という時限爆弾を作動させた。2026年の韓国の大学入学者数は、過去最低水準を更新し続けており、地方大学のみならず、ソウルの名門大学でさえも優秀な大学院生の確保に苦慮している。この「人材の空白」を埋めているのが、中国からの高度な研究人材だ。
漢陽大学が推進する中国戦略は、まさにこの需給ギャップを戦略的に捉えた生存策と言える。大学側にとって、中国人留学生は単なる学費収入源(Cash Cow)以上の意味を持ち始めている。彼らは、先端技術研究を支える実働部隊であり、減少する国内学生に代わって研究成果(パブリケーション)を生産するエンジンの役割を果たしているのだ。中国側にとっても、米中対立の影響でアメリカへの留学や研究渡航が制限される中、地理的に近く、欧米に準ずる研究環境を提供する韓国は、現実的かつ魅力的な「学術的避難港」として機能している。
韓国の大学院外国人学生数と学齢人口の推移予測 (2020-2026)
しかし、この「人材安全保障」にはリスクも潜んでいる。技術流出への懸念や、特定の国への過度な依存がもたらす経営リスクだ。トランプ政権によるデカップリング圧力が強まる中、韓国の大学は「学問の自由」と「経済安全保障」の狭間で、極めて難しい舵取りを迫られている。それでも、現場の研究者たちが選んだのは、国境を越えた連携による「生存」であった。漢陽大学の事例が示唆するのは、分断の時代において、国家の論理とは異なるレイヤーで、生存本能に基づいた新たなネットワークが形成されつつあるという事実だ。
トランプ2.0時代の「知」の攻防戦
2026年に入り、かつて「学問に国境はない」と信じられてきたグローバルな知の生態系は、トランプ政権第2期による「アメリカ・ファースト」の科学技術政策によって、かつてない分断の危機に直面している。ワシントンが主導する技術覇権の維持は、同盟国である日本に対しても「踏み絵」を迫る形となって現れた。重要技術分野における外国人研究者のスクリーニング強化や、連邦資金が投入されたプロジェクトへの外国籍研究者のアクセス制限は、長年米国を「知の聖地」と仰いできた日本の学術界に冷や水を浴びせている。
かつて日本の若手研究者にとって、渡米はキャリアの登竜門であった。しかし、その「常識」は急速に過去のものとなりつつある。首都圏の私立大学で先端材料工学を専攻する佐藤健太氏(28・仮名)は、昨年末、予定していた米国西海岸の名門大学へのポストドクターとしての派遣が直前で延期された。「セキュリティ・クリアランス(適性評価)の審査が長引いている」というのが表向きの理由だが、実際には彼が過去に共同研究を行ったアジアの大学とのネットワークが、新たな「リスク要因」として浮上した可能性が高いと指摘されている。

この「米国の扉」が閉ざされつつある現状は、日本の大学経営における地政学的リスクを露呈させた。文部科学省の統計や各大学の公表データを総合すると、2026年度の日本人研究者の米国派遣者数は、パンデミック前の水準と比較しても約30%の減少傾向にあると推計される。一方で、地理的・文化的に近いアジア域内、特にASEAN諸国やインド、そして政治的緊張を孕みつつも学術的厚みを持つ中国・韓国との「知のパイプライン」の太さが、大学の生存を左右する新たな指標となりつつある。
日本の研究者の主要派遣先地域の変化 (2020年 vs 2026年推計)
データが示す通り、北米への依存度が低下する一方で、アジアへのシフトが鮮明になっている。これは単なる「米国の代替」としての消極的な選択ではない。アジアの大学群が、急速な経済成長と巨額の研究投資を背景に、世界的なイノベーションのハブとして台頭してきた現実を反映している。トランプ政権の保護主義が、皮肉にもアジア域内の「知のブロック経済化」を加速させているのである。
グレーゾーンの懸念と次世代のアカデミック・サバイバル
表面的な友好ムードの裏側で、大学当局が直面している現実は、より冷徹で複雑な計算式の上に成り立っている。漢陽大学が上海センターを通じて構築したパイプラインは、確かに人的交流の回復という点では成果を上げているが、その太くなったパイプの中を流れる「情報の質」については、ワシントンとソウルの双方から厳しい視線が注がれている。いわゆる「軍民両用(デュアルユース)」技術の流出リスクである。
2026年現在、第2次トランプ政権は「研究セキュリティ(Research Security)」の定義を大幅に拡大し、同盟国の大学に対しても、中国との共同研究におけるコンプライアンス基準の厳格化を求めている。特に、AI、半導体、量子コンピューティングといった重要技術分野において、その境界線は極めて曖昧だ。かつては純粋な学術研究と見なされていた基礎科学の領域でさえ、いまや安全保障のグレーゾーンに組み込まれている。
今後、日本の大学に求められるのは、教育機関としての枠組みを超えた「知識外交拠点」への脱皮である。単に学位を授与する場所から、国境を越えた人的信頼関係(ソーシャル・キャピタル)を生産・貯蔵する場所への転換だ。漢陽大の上海同窓会が示したのは、大学がハブとなることで、国家間の外交ルートが機能不全に陥った際にも、民間レベルでの対話や経済活動を維持できるという「学術外交」の可能性である。
分断が加速する世界において、橋を架け続けられるのは、利害を超えた「学びの絆」を共有する者たちだけかもしれない。大学がその結節点としての自覚を持ち、自律的な外交戦略を描けるかどうかが、来るべき2030年代の大学淘汰の時代における生存条件となるだろう。「学問の自由」を守るためには、まず大学そのものが、国家の動向に左右されない強靭な経済的・人的基盤を持つ必要があるのだ。漢陽大の挑戦は、その一つの解を我々に提示している。