[国際情勢] 黒海が映すパックス・アメリカーナの黄昏:2700年の歴史構造と日本の針路
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2026年のボスポラス海峡:閉ざされた「西側の湖」
2026年1月、イスタンブールのガラタ橋からボスポラス海峡を望むと、その風景の変化は、冬の冷たい霧以上に鮮明に映る。かつてこの海域で頻繁に目撃された米第6艦隊の艦船の姿は消え、代わりにロシア産の原油を積んだタンカー、中国資本のコンテナ船、そしてトルコ海軍の警備艇が、鉛色の海面を支配している。ドナルド・トランプ大統領の第2次政権発足から1年が経過し、ホワイトハウスが掲げる「アメリカ・ファースト」は、黒海という地政学的な要衝においても、冷徹なまでの「関与の選別」として具現化していた。
「我々は、米国の国益に直結しない紛争の警察官ではない」。ワシントンからのこのメッセージは、黒海沿岸諸国にとって、長年続いた「パックス・アメリカーナ(米国による平和)」の終焉を告げる弔鐘のように響いている。かつて米国はこの海域を、NATO(北大西洋条約機構)の南東部を守る防波堤、あるいはロシアを封じ込めるための「西側の湖」として重視してきた。しかし、2026年の現実は異なる。エネルギー自給を達成し、内向きの経済政策を強めるトランプ政権下の米国にとって、ボスポラス海峡の向こう側はもはや、コストを払ってまで維持すべき戦略的資産ではなく、地域大国間のパワーゲームに委ねられるべき「他者の海」へと格下げされたのである。

この地政学的な真空状態は、スコットランドのジャーナリスト、ニール・アシュソンが名著『黒海(Black Sea)』で描いた歴史的構造を彷彿とさせる。アシュソンは、黒海を単なる水域ではなく、古代ギリシャの時代から続く「文明」と「蛮行」が出会い、衝突し、そして相互に浸透し合う境界領域として定義した。2700年前、ギリシャ人入植者たちはこの海を「ポントス・エウクセイノス(客あしらいのよい海)」と名付けたが、それは予測不能な嵐と、草原地帯から押し寄せるスキタイ人などの遊牧騎馬民族への畏怖を和らげるための願望的な呼称でもあった。
2026年の今、アシュソンが指摘した「力の空白」が再びこの海を覆っている。西側という「文明」の防壁が後退することで、黒海は再び、ルールに基づく国際秩序が通用しにくい、ある種の「野生の空間」へと回帰しつつあるのだ。トルコはモントルー条約を盾に海峡の門番としての権限を極限まで強化し、ロシアはこの閉鎖空間での生存圏確保に死活をかける。そこにあるのは、リベラルな国際協調主義ではなく、むき出しの国益と力が衝突する、より古典的で荒々しい歴史の再演である。
米国防総省が2025年後半に公表した戦略見直しの中で、黒海地域への関与縮小は「資源の最適化」と表現された。しかし、歴史の長い時間軸で見れば、それは単なる兵力配置の変更ではない。アテネ、ローマ、ビザンツ、オスマンと続いた帝国の興亡の歴史において、支配的な勢力がその影響力を失うとき、黒海は常に周辺勢力が角逐する混沌の海へと変貌してきた。トランプ政権による「戦略的撤退」は、一時の政治的判断というよりも、米国が一極支配の重荷を下ろし、多極化する世界へと適応しようとする、歴史的な構造転換の兆候として捉えるべきであろう。
「アメリカ・ファースト」という名の歴史的必然
2026年1月、ホワイトハウスが打ち出す「アメリカ・ファースト」の政策群を、単なるポピュリズムの再来や一過性の政治ショーとして片付けることは、もはや知的怠慢と言わざるを得ない。第2次トランプ政権下で加速する関税障壁の構築や、欧州・中東地域への関与縮小は、個人の資質による変調ではなく、帝国のライフサイクルにおける「収縮期」への突入を示唆する構造的な現象であるからだ。かつて歴史家のポール・ケネディが指摘した「帝国の過剰拡大(インペリアル・オーバーストレッチ)」のツケが、今まさに米国の財政と世論を内向きへと強力に牽引している。
この地殻変動の影響を、ビジネスの現場は肌感覚として捉え始めている。大手総合商社の物流部門で中東・欧州航路を担当する佐藤健太氏(仮名)は、2026年に入り、かつてない不確実性に直面していると語る。「これまでは米軍の抑止力を前提に、ある程度の安全マージンを見込んで航路計画を立てられましたが、今は違います。黒海周辺の情勢不安による保険料の高騰と、米国の不介入姿勢が重なり、輸送コストは前年比で25%以上も跳ね上がりました」。
米国内の事情に目を転じれば、この撤退論が不可避である理由はさらに明確になる。今月発生したミネアポリスでのインフラ機能不全や、東海岸でのトンネル計画の凍結に見られるように、米国内の社会資本は老朽化の極みにある。連邦議会予算局(CBO)のデータが示す通り、米国の連邦債務利払い費は防衛費に迫る勢いで増加しており、国外の安全保障に巨額の予算を投じ続ける余裕は物理的に失われつつあるのだ。
米国の国際関与に対する世論の変化 (2010-2026)
上図が示す通り、米国の世論は過去15年で着実に「内向き(isolate)」へとシフトしており、2026年には「国際的な関与(active)」を支持する層との差が決定的となっている。これは政権交代によって揺り戻されるような短期的なトレンドではなく、世代を超えた価値観の転換点といえる。
連鎖する空白:黒海からインド太平洋へ
黒海の波が岸を洗うその静寂は、かつてないほどの重苦しさを伴って、遠く離れた東京・永田町にも届いている。2026年1月、トランプ政権が打ち出した「欧州安全保障の負担適正化」方針は、事実上の黒海関与の縮小を意味するものとして、NATO諸国のみならず、アジアの同盟国にも深い衝撃を与えた。ワシントンが選択したこの「戦略的撤退」は、単なる兵力配置の変更ではない。それは、第二次世界大戦後、世界中の海を「公海」として維持してきたパックス・アメリカーナの意志が、明確に限界を迎えつつあることを示す歴史的な転換点である。
「対岸の火事ではない。これは明日の東シナ海かもしれない」。ある大手商社で長年エネルギー安全保障を担当してきたベテラン調査役、鈴木健一氏(仮名)はそう警鐘を鳴らす。鈴木氏の懸念は、資源輸入の9割以上を海上輸送に依存する日本にとって、シーレーンの安全を担保する「警察官」の不在が、直ちに国家存立のリスクに直結するという現実に基づいている。

この力の空白は、インド太平洋地域において、既存の同盟ネットワークの再定義を迫っている。日本政府内では、「米国への追従」のみを是としてきた従来の安全保障ドクトリンの見直し論が、かつてない現実味を帯びて語られ始めた。特に懸念されるのは、この「撤退の連鎖」が、権威主義的な地域大国に誤ったシグナルを送る可能性だ。黒海で生じた力の空白が、瞬く間に地域紛争の火種となったように、南シナ海や台湾海峡においても、「米国の介入コストが高まった」と判断した勢力が、既成事実の積み上げを加速させるリスクがある。
主要国における対米信頼指数の推移 (2020-2026)
上記のデータが示す通り、主要同盟国における対米信頼度は2024年以降、顕著な低下傾向にある。特に2026年に入ってからの急落は、米国の外交方針の不確実性が、経済・安全保障の両面で同盟国の「安心(Anshin)」を揺るがしていることを物語る。
幻想の同盟と「冷たい実利主義」
ニール・アシュソンがその名著『黒海』で描いた世界は、現代の私たちが信じてきた「国際協調」の理念とは対極にある。古代ギリシャの植民都市から中世のジェノヴァ商人に至るまで、黒海沿岸に生きた人々は、隣人を愛したから共に暮らしたのではない。互いに軽蔑し、異質な文化や宗教を抱えながらも、ただ生き残るために、そして利益を得るために「冷たい実利主義」に基づいて共存してきたのである。
2026年現在、トランプ政権下で加速する米国の孤立主義的政策は、世界が再びこの「黒海的リアリズム」へと回帰していることを冷酷なまでに突きつけている。かつて「価値観外交」という言葉が踊った日本の外交青書だが、現在のワシントンにおいて、民主主義や人権といったイデオロギーの共有は、もはや安全保障の自動的な担保にはなり得ない。
イスタンブールを拠点に物流網構築に携わる佐藤健一氏は、この変化を最前線で目撃している。「現地で求められるのは、西側の『正義』を説くことではなく、どの勢力とも等距離を保ちながら、物流を止めないためのしたたかな交渉力です。米国が去った後の空白を埋めているのは、理想ではなく、あからさまな実利です」。
主要国における対米信頼度の推移と貿易依存度の乖離 (2020-2026)
新たな「辺境」を生き抜くために
帝国の撤退は、常にその辺境から静かに、しかし確実に進行する。かつて黒海沿岸がローマ、ビザンツ、オスマンといった巨大な力の潮目が変わる最前線であったように、2026年の世界もまた、パックス・アメリカーナという秩序の防波堤が後退し、新たな「荒波」に洗われ始めている。
この現実を前に、日本が取るべき道は、米国への従属を深めることでも、無謀な孤立主義に走ることでもない。「自立」と「柔軟性」という、相反する要素を高度にバランスさせる新たな国家戦略の構築である。
まず「自立」について言えば、防衛産業や半導体供給網における国内基盤の強化が急務となる。歴史家エドワード・ギボンが指摘したように、ローマ帝国の衰退は、辺境防衛を傭兵に依存し始めた時に加速した。独自の抑止力と、基幹技術の自給能力を高めることは、同盟国としての価値を高めることにも繋がり、結果として対米関係の健全化に寄与する。
一方で、硬直的な自立は孤立を招く。ここで求められるのが、黒海周辺の都市国家が歴史的に実践してきたような外交の「柔軟性」だ。米国との同盟を基軸としつつも、グローバルサウスと呼ばれる新興国や、欧州、オーストラリアとの多層的な連携を深めるリスク分散が不可欠となる。
それは、嵐の中で折れることのない「竹」のようなしなやかさとも言えるかもしれない。根(アイデンティティと国内基盤)を深く張りつつ、風(外圧や情勢変化)に合わせて上部構造を柔軟にしならせる。黒海が2700年にわたり文明の交差点であり続けたように、日本もまた、米中対立や多極化の狭間で、単なる緩衝地帯ではなく、新たな価値や対話を生み出す「触媒」としての地位を確立できるはずだ。
パックス・アメリカーナの黄昏は、決して世界の終わりではない。それは、日本が戦後長らく続いた「思考停止」という名の微睡(まどろみ)から目覚め、自らの足で歩き出すための、痛みを伴うが不可避な通過儀礼なのである。