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[医療政策] 地方ホスピスの「越境」:韓国・慶尚国立大病院と保健所が紡ぐ終末期ケアの実験

AI News Team
[医療政策] 地方ホスピスの「越境」:韓国・慶尚国立大病院と保健所が紡ぐ終末期ケアの実験
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死の場所を選べない地方の現実

慶尚南道(キョンサンナムド)の山間部に位置するある村。静寂に包まれたこの地で、パク・ジョンス氏(仮名、74)は、自宅の寝室で天井を見上げながら痛みに耐える日々を送っていた。末期の肺がんを患うパク氏にとって、安らかな最期を迎えるための「選択肢」は、事実上存在しなかったからだ。最寄りの総合病院までは車で片道90分。妻(72)が運転する軽トラックに揺られるその道中は、弱った体にはあまりに過酷な「移動」であり、痛みを緩和するための通院自体が寿命を削る行為となっていた。

これはパク氏一人の物語ではない。韓国南部の地方都市において、高度経済成長期を支えた世代が直面している「看取り難民」の現実である。2026年現在、ソウル首都圏には韓国全土の医療資源の50%以上が集中していると言われる一方で、慶尚南道のような地方部では、ホスピス・緩和ケア病棟(PCU)へのアクセスは極めて限定的だ。

地域医療の現場を取材すると、大都市と地方の間に横たわる残酷なまでの「死の格差」が浮かび上がる。ソウルの大学病院では、最新の鎮痛プロトコルと学際的な緩和ケアチームが機能しているが、地方の在宅現場では、麻薬性鎮痛薬の管理すらままならないケースが散見される。保健所の看護師が訪問しようにも、広大な管轄エリアと慢性的な人員不足により、十分な頻度でのケア提供は物理的に困難な状況にある。

「痛くても、我慢するしかない」。パク氏が漏らしたこの言葉は、地方医療の構造的な敗北を意味している。在宅での看取りを希望しても、急変時の対応や家族の介護負担への不安から、結局は遠方の急性期病院の救急外来に駆け込まざるを得ない。その結果、本来は穏やかに過ごすべき最期の時間を、無機質な集中治療室(ICU)や、廊下にベッドが並ぶ救急処置室で迎える患者が後を絶たない。

慶尚国立大学病院の緩和ケアセンター長は、この状況を「医療の断絶」と表現する。「大学病院の中には高度な知識と技術がある。しかし、患者がひとたび退院し、地域に戻った瞬間、そのケアの糸はプツリと切れてしまう」。この断絶こそが、患者と家族を孤立させ、地方における尊厳ある死を阻む最大の障壁となっているのである。

以下のデータは、韓国における緩和ケア病棟の病床数が地域によってどれほど偏在しているかを示している。人口100万人あたりの病床数において、首都圏と地方の格差は歴然としており、これが「生まれた場所は選べても、死ぬ場所は選べない」という現実を裏付けている。

韓国における地域別ホスピス病床数の格差(人口100万人あたり・2025年推計)

この「断絶」を埋めるためには、単に病床を増やすだけでは不十分だ。求められているのは、高度な専門性を持つ大学病院と、地域に根差した保健所や在宅医療チームが、組織の壁を越えてシームレスにつながる新たな回路の構築である。慶尚国立大病院と地域の保健所が開始した連携プロジェクトは、まさにこの構造的な欠陥に対する挑戦状と言える。

慶尚国立大病院の「訪問」イノベーション

韓国・慶尚南道の地域医療拠点である慶尚国立大病院・慶南地域がんセンターが展開する「訪問がん患者管理事業」は、従来の「待ちの医療」から「出向く医療」への劇的な転換点として注目を集めている。これまで、高度な緩和ケアは大学病院の無菌室や緩和ケア病棟(ホスピス)の中に閉じ込められがちだった。しかし、この新たなモデルでは、大学病院が保有する専門知識と人材を、地域の毛細血管である保健所へと直接輸血するかのような大胆なアプローチが採られている。

このシステムの核心は、単なる往診ではない。大学病院の緩和ケア専門医、専任看護師、そして医療ソーシャルワーカーで構成された「専門緩和ケアチーム」が、地域の保健所担当者とペアを組み、患者の自宅を訪問するという点にある。通常、過疎地域の保健所における訪問看護は、慢性疾患の管理や基本的なバイタルチェックに留まることが多く、末期がん特有の激しい疼痛管理(オピオイドの調整など)や、急変時の意思決定支援には限界があった。慶尚国立大病院のモデルは、このギャップを大学病院の専門家が物理的に現場へ赴くことで埋めようとしている。

アジアの医療政策に詳しいサトウ・ケンタ氏(仮名)は、「この仕組みの真価は、患者ケアそのもの以上に、地域の医療スタッフへの教育効果にある」と指摘する。大学病院の専門スタッフが同行することで、保健所の看護師はベッドサイドでの実地研修(OJT)を受ける形となる。がん性疼痛の評価方法、鎮静のタイミング、家族へのグリーフケア(悲嘆ケア)の導入など、教科書では学べない「現場の暗黙知」が、大学病院から地域へと移転されていくのだ。これは、2026年現在の日本が直面している「多死社会」における地域医療の質的向上においても、極めて示唆に富むアプローチと言える。

さらに、この事業はデジタル技術の活用によって物理的な距離を補完している。第2期トランプ政権下での世界的なサプライチェーン再編に伴い、医療機器の調達コストが変動する中、同病院では比較的安価で普及率の高い民生用タブレット端末を活用した遠隔モニタリングを導入した。訪問時以外でも、保健所のスタッフが患者の状態を動画で共有し、大学病院の専門医がリアルタイムで指示を出す「遠隔コンサルテーション」が、物理的な移動の負担を軽減しつつ、ケアの質を担保するセーフティネットとして機能している。

しかし、この革新的なモデルは、現場の献身的な努力によって辛うじて支えられているという側面も無視できない。移動時間のコスト、専門医の不在による病院本体への負担、そして何より、限られた予算内で活動を持続させなければならないプレッシャーは、関係者に重くのしかかっている。慶尚国立大病院のデータによれば、訪問件数は増加の一途をたどっているが、それに比例してスタッフの疲労度も蓄積している。

慶尚国立大病院・訪問ケア提供内容の内訳 (2025年度)

グラフが示す通り、訪問ケアの4割以上が高度な疼痛管理に費やされている。これは、本来であれば入院環境でなされるべき医療行為が、在宅というリソースの限られた環境で行われている現実を物語っている。

高度医療と地域保健のミッシングリンク

大学病院という「白い巨塔」と、地方の独居高齢者が暮らす「生活の場」。この物理的、そして心理的に断絶された二つの空間をつなぐ「ミッシングリンク(失われた鎖)」として、なぜ今、保健所という行政機関が注目されているのだろうか。

2026年現在、高度医療の現場は、AIによる診断支援やロボット手術の普及により効率化が加速している。しかし、その一方で、治療の施しようがない末期がん患者が病院から地域へ戻る際、その受け皿はあまりに脆弱だ。特に地方部においては、緩和ケア病棟を持つ専門病院は都市部に偏在しており、「住み慣れた家で最期を」という患者の願いは、疼痛管理(ペインコントロール)の難しさという現実の前にしばしば挫折してきた。

ここで慶尚国立大病院が着目したのが、地域に毛細血管のように張り巡らされた「保健所」のネットワークだ。既存の行政インフラである保健所を活用する最大の戦略的利点は、その「公的信頼性」と「麻薬管理の厳格さ」にある。在宅緩和ケアにおいて不可欠な医療用麻薬は、管理の厳格さゆえに、小規模な診療所では取り扱いを敬遠するケースが少なくない。しかし、行政機関である保健所がハブとなり、大学病院の専門医が処方設計を行い、保健所の看護師や薬剤師が実務的な管理・指導を担うことで、このボトルネックを解消しようとしている。

具体的なメリットは、患者のQOL(生活の質)に直結する。例えば、キム・ヨンス氏(仮名、78)の事例だ。慶尚南道の山間部に住むキム氏は、末期の肺がんを患い、大学病院への通院は片道2時間を要する。以前であれば、激しい突出痛に襲われるたびに救急搬送されるか、痛みに耐え続けるしかありませんでした。しかし、この連携モデルでは、大学病院の緩和ケアチームが作成したケアプランに基づき、地元の保健師が定期的に訪問。バイタルサインの確認とともに、鎮痛剤の使用状況をモニタリングし、そのデータはリアルタイムで大学病院と共有される。

「痛み止めが切れる不安がなくなったことが、何よりの救いです」。キム氏の言葉は、高度医療機関だけでは埋められない隙間を、地域保健の「手」が埋めていることを如実に物語っている。

「保健所」という現場の疲弊と限界

しかし、光があれば影もある。慶尚南道の地方都市にある保健所では、2026年を迎えた今もなお、パンデミックが残した深い爪痕が癒えていない。かつて「K防疫」の最前線として称賛された現場は、感染症対応から日常業務へと回帰する過程で、慢性的な人手不足という新たな危機に直面している。

「保健所は地域の『医療のよろず屋』になってしまっている」と、地域医療政策に詳しい韓国保健社会研究院の報告書は指摘する。2025年の調査によると、地方保健所の職員の約60%が「業務過多による燃え尽き症候群(バーンアウト)」のリスク群に該当するとされた。特に、緩和ケアにおいて必須となる医療用麻薬の管理や、死期が迫る患者の急変対応は、これまで予防医学を中心としてきた保健師や行政職員にとって、心理的・技術的に極めてハードルの高い業務である。

地方保健所における業務量と人員の推移(2022-2026)

上記のデータが示す通り、業務量はパンデミック収束後も右肩上がりで増加しているのに対し、人員は微減傾向にある。特に、2024年以降の「workload(業務量)」の急増は、高齢化に伴う在宅ケア需要の爆発的な拡大を反映している。この乖離(かいり)こそが、現場の悲鳴の正体だ。

大学病院側が提供する専門的なバックアップは理論上、強力な支えとなるはずだが、物理的な距離と組織文化の違いが、現場の連携に摩擦を生んでいる。大学病院の医師は「医学的な正しさ」を最優先し、迅速な処置を求めるが、保健所の現場は「生活の場」であるがゆえに、家族の意向や介護環境の不備といった複雑な変数に足を取られる。このギャップを埋めるための調整業務は、数字に表れない膨大な時間外労働として現場スタッフに蓄積されていく。

予算とマンパワー:持続可能性への問い

慶尚国立大病院と地域保健所の連携モデルは、一見すると「地域完結型医療」の理想郷のように映るかもしれない。しかし、その輝かしい成果の裏側には、短期的な補助金への過度な依存と、現場スタッフの個人的な献身(自己犠牲)によって辛うじて支えられているという、極めて脆弱な財務構造が横たわっている。

「連携」という言葉は行政報告書の中で美しく響くが、現場においてそれは「コスト」そのものである。大学病院の高度専門医が保健所に出向いたり、オンラインで細やかな指導を行ったりする時間は、本来ならば高額な診療報酬が発生すべきリソースの投入だ。しかし、現状のこのプロジェクトは、韓国政府の時限的なモデル事業予算によって運営されている側面が強い。つまり、補助金が打ち切られた瞬間、この高度なセーフティネットは維持不能となるリスクを孕んでいる。

日本の地方自治体で同様の医療連携調整を担うスズキ・ユイ氏(仮名)は、この慶尚国立大病院の事例データを分析し、次のように警鐘を鳴らす。「データ上では『連携成功』とされていますが、その実態は、特定の『断れない』看護師やソーシャルワーカーが、勤務時間外に個人の携帯電話で連絡を取り合うことで成立している可能性が高いです。私たちも経験しましたが、これは制度ではなく、個人の善意の搾取に近い」

実際、2025年度の経済協力開発機構(OECD)の医療政策レポートでも、アジア圏における医療従事者の離職理由として「報酬に見合わない調整業務の負担」が上位に挙げられている。

地域医療連携における看護師の業務時間配分(推計)

グラフが示す通り、業務全体の約30%が、既存の診療報酬制度では十分に評価されない「調整・会議」に費やされている。大学病院側にとっては、医師を派遣することは経営的な持ち出し(赤字)になりかねず、保健所側にとっては、高度な医療判断を求められるプレッシャーが重くのしかかる。

日本への示唆:地域包括ケアの未来図

日本の地域医療関係者が慶尚国立大学病院の取り組みに熱い視線を送るのには、切実な理由がある。2025年問題(団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる年)を通過し、2026年の現在、日本が直面しているのは「地域包括ケアシステム」の実質的な制度疲労だからだ。

サトウ・ユキコ氏(52)は、四国地方の過疎化が進む町でケアマネジャーとして働いている。「大学病院の先生に往診をお願いするのは、心理的にも制度的にもハードルが高いのが現状です」と彼女は語る。日本医師会総合政策研究機構の2025年版報告書が指摘するように、地方における在宅緩和ケアの供給体制は、需要の増加に対して決定的に不足しており、特に専門的な疼痛管理や精神的ケアを行える人材の偏在は深刻だ。

ここで韓国のモデルが示唆的となるのは、地域の「保健所」をハブとして機能させている点である。日本では、保健所は感染症対策や公衆衛生の管理が主務であり、個別の患者の臨床的なケアコーディネーションに深く介入することは稀だ。しかし、今回の韓国の事例では、大学病院の高度な専門知と、地域に根差した保健所の機動力を直結させることで、物理的な距離と専門性の格差を同時に埋めようとしている。これは、日本の地域医療構想において長年の課題であった「病診連携」を一歩進め、「病官連携」とも呼べる新たな公的関与の形を提示している。

しかし、このモデルを日本にそのまま輸入することには慎重であるべきだ。日本の保健所職員は、過去数年のパンデミック対応とその後の業務多角化により、すでに限界に近い業務量を抱えている。厚生労働省の統計によれば、保健所保健師の一人当たり業務負担は2020年以降、高止まりを続けている。

「仕組みとしては理想的だが、それを回す『人』がいない」。これは、日韓共通の悩みである。日本が学ぶべきは、単なる連携の図式ではなく、限られた医療資源を「所有」するのではなく「共有」するという、組織の壁を越えた実用主義(プラグマティズム)だろう。