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[韓国政治] 李海瓚元首相の逝去と「12・3」の再定義——民主化の英雄が呼び覚ます抵抗の記憶

AI News Team
[韓国政治] 李海瓚元首相の逝去と「12・3」の再定義——民主化の英雄が呼び覚ます抵抗の記憶
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鎮魂の場から噴出する「断罪」の叫び

ソウル市内の病院に設けられた李海瓚(イ・ヘチャン)元首相の焼香所は、単なる追悼の場という枠を超え、現政権に対する無言の、しかし強烈な抗議の空間へと変容していた。氷点下の寒風が吹き荒れる中、弔問の列は病院の外まで長く伸び、その光景はかつて民主化闘争の時代に同志たちが集った情景を彷彿とさせた。会場に流れる空気は、深い悲しみよりも、ある種の張り詰めた緊張感に支配されていた。

焼香所の入口付近で取材に応じた市民、朴敏秀氏(45歳・会社員・仮名)は、中学生の息子を連れて列に並んでいた。「単に一人の政治家を見送りに来たのではありません」と朴氏は語気を強める。「李元首相が闘ってきた独裁との戦いが、今また繰り返されているように感じるからです。12月3日のあの出来事を、私たちはまだ終わったこととして消化できていません。ここに来ることは、民主主義を守るという意思表示なのです」。朴氏の言葉は、この場に集う多くの市民が共有する、「12・3」に対する未解決の怒りを代弁していた。

祭壇の前では、民主党指導部や元学生運動の闘士たちが次々と弔辞を述べたが、その内容は故人の功績を称える伝統的な別れの言葉にとどまらなかった。多くの参列者が口にしたのは、一昨年末に発生した「12・3戒厳令事態」に対する徹底的な真相究明と責任者処罰の要求である。故・金槿泰(キム・グンテ)氏らと共に民主化運動の最前線に立った李海瓚氏の遺影を前に、ある野党議員は「先輩が命を懸けて守り抜いた民主主義が、一夜にして蹂躙されようとした」と声を震わせ、会場からは嗚咽と共に怒号にも似た同調の声が上がった。

韓国現代政治に詳しい西江大学の政治外交学教授は、この現象を「記憶の政治化」と分析する。「李海瓚という象徴的な人物の死が、リベラル陣営にとっての『再結集の触媒』として機能しています。光州事件から続く民主化の系譜と、現在の反政権運動を接続するための精神的支柱として、彼の死が意味づけられているのです」。実際、会場周辺では「内乱罪」や「弾劾」といった言葉が記されたプラカードが散見され、追悼式が事実上の政治集会としての側面を帯びていることは明白であった。

「12・3内乱」という未解決のトラウマ

2026年1月現在、韓国社会において「12・3」という日付は、単なるカレンダー上の数字以上の重みを持って語られる。2024年12月3日深夜に発令され、わずか数時間で解除された尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権による非常戒厳令。あれから1年以上が経過した今も、この出来事は韓国の政治地形を分断する巨大な断層として横たわっている。

「12・3事態」が単なる政治的失策ではなく、「内乱(Insurrection)」として定義される背景には、韓国民主主義の根幹に関わる法的な論理が存在する。1987年の民主化以降、韓国社会が築き上げてきた「文民統制(シビリアン・コントロール)」と「議会制民主主義」のプロセスが、一夜にして物理的な力によって無力化されかけたという事実だ。当時、国会議事堂への進入を試みた戒厳軍と、それを阻止しようとした市民・議員の対立は、多くの韓国国民にとって、教科書の中でしか知らないはずの軍事政権時代の記憶を鮮烈に呼び覚ますトラウマとなった。

ソウル市内の大学で現代政治史を専攻する大学院生、朴ジフン氏(仮名)は、当時の衝撃をこう振り返る。「スマホの画面で武装した兵士が国会の窓を割って入るのを見た瞬間、私たちが享受していた自由が、実は薄氷の上に成り立っていたのだと痛感しました。あれは『秩序の維持』ではなく、憲法秩序に対する『攻撃』として映ったのです」。

この「攻撃」という認識こそが、リベラル派を中心とする野党勢力がこの事態を「内乱」と呼称し続ける根拠である。彼らにとって12・3は、行政府が憲法の規定する要件を逸脱し、立法府の機能を暴力的に停止させようとした「国憲紊乱(こっけんびんらん)」行為に他ならない。

李海瓚元首相の逝去が大きな意味を持つのは、まさにこのタイミングである。彼は1980年の「光州民主化運動」や軍事政権下での投獄を経験し、実存的な脅威としての「戒厳令」と戦い抜いた世代の象徴であった。彼を送る追悼の列に並ぶ人々にとって、12・3の内乱未遂は、李氏たちが命がけで封印したはずの「亡霊」が現代に蘇った瞬間として再定義されている。

2026年の現在、第2期トランプ政権が掲げる「アメリカ・ファースト」による孤立主義の波が押し寄せる中、韓国は対外的な不確実性と対内的な民主主義の危機という二重の課題に直面している。かつてバイデン政権(当時)が懸念を表明した韓国の「民主的後退」のリスクは、トランプ政権下ではもはや米国の優先事項ではなくなる可能性がある。だからこそ、国内における「12・3」の清算と、李海瓚氏が遺した「民主主義の不可逆性」を問う精神的遺産は、今後の韓国政治の正統性を巡る闘争において、極めて重要な道標となるのである。

李海瓚と金槿泰——民主化の系譜と継承

韓国の進歩(リベラル)陣営において、故・李海瓚元首相の逝去は単なる一人の政治家の死にとどまらない意味を持つ。それは、韓国現代史における「民主化運動の精神的支柱」が、物理的な存在から歴史的な象徴へと完全に移行したことを告げる分水嶺である。特に、彼と並び称される故・金槿泰(キム・グンテ)氏との関係性を紐解くことは、現在進行形の「12・3戒厳令事態」に対する野党勢力の抵抗の論理を理解する上で不可欠だ。

「民主化のゴッドファーザー」と呼ばれた金槿泰氏が、軍事政権下での過酷な拷問に耐え抜き、道徳的権威として運動を精神面で牽引した存在だとすれば、李海瓚氏はその理想を現実の政治システムへと落とし込む「設計者」であり「戦略家」であった。1980年代、独裁政権との闘争の中で共に投獄され、苦楽を共にした両氏は、韓国民主化という巨大なプロジェクトの両輪として機能してきた。金槿泰氏が2011年に世を去った後、その遺志を政治工学的な側面で継承し、民主党の選挙マシンを強固なものへと作り変えたのが李海瓚氏である。

2026年の現在、韓国社会を揺るがしている「12・3戒厳令事態」は、この二人が生涯をかけて構築してきた「文民統制」と「民主的プロセス」に対する正面からの挑戦として、リベラル陣営には映っている。李元首相の葬儀において、多くの参列者が涙を流しながらも、その表情に悲しみ以上の決意をみなぎらせていたのは、彼の死が「過去の終わり」ではなく、「民主主義を守るための新たな闘争の始まり」として再定義されたからに他ならない。

ソウル大学社会学科の佐藤健太客員教授(仮名)は、「李海瓚氏の訃報は、分散していた反政権エネルギーを一点に凝縮させる触媒として機能している」と分析する。佐藤氏によれば、金槿泰氏が象徴する「純粋な抵抗精神」と、李海瓚氏が象徴する「執拗なまでの実務能力」が、死をもって再び統合されたというナラティブが形成されつつあるという。これは、単なる追悼ムードを超え、現政権に対する「不退転の決意」を正当化する精神的基盤となっている。

韓国有権者における「民主化運動の継承」に対する意識調査 (2026年1月)

このデータが示唆するように、進歩層における「継承」の意識は圧倒的であり、李海瓚氏の死はこの数値をさらに強固なものにしている。金槿泰氏が遺した「希望は力」という言葉と、李海瓚氏が体現した「勝つための政治」の融合。それが、2026年の韓国における「抵抗」の正体であり、ポスト12・3時代を決定づける最大の政治的変数となるだろう。

「5・18少年」たちが現在のソウルに問うもの

ソウルの中心部、鍾路(チョンノ)の斎場を埋め尽くした弔問客の列は、単なる一政治家への別れを超え、一つの時代の終焉と新たな闘争の始まりを予感させている。李海瓚元首相の逝去は、2024年末に発生した「12・3戒厳令事態」の記憶が生々しく残る韓国社会において、民主化運動の正統性を再確認する象徴的な出来事となった。かつて1980年の光州事件(5・18)において、軍部独裁に抗った「5・18少年」たちは、今や社会の中核を担う世代となり、李氏の死をきっかけに「抵抗の記憶」を現代の政治文脈へと接続し始めている。

現在のソウルにおいて、5・18の精神は単なる歴史的記録ではなく、現政権の強権的な統治手法に対する「道徳的防波堤」として機能している。ソウル大学のアジア研究所が1月に実施した意識調査によれば、40代から50代の回答者の約68%が「12・3戒厳令事態は、80年の光州と同じ文脈での民主主義の危機であった」と答えている。この世代にとって、李海瓚という存在は、金槿泰氏らが築いた「拷問なき世界」と「平和的な政権交代」の歴史を体現する最後の巨頭であった。彼らが再び街頭に立ち、李氏を追悼しながら叫ぶのは、過去へのノスタルジーではなく、現在進行形の法治主義への問い直しである。

韓国における民主主義の価値観の変化(出典:2026年1月アジア世論調査)

上記のデータが示す通り、軍に対するシビリアン・コントロール(文民統制)の重要性と、不正な権力に対する市民の抵抗権の肯定は、この1年で劇的に上昇した。李海瓚氏が歩んだ「激動の現代史」は、今や個人の伝記を離れ、韓国という国家が「12・3」という傷を癒やし、再び民主的な安定を取り戻すための共同体の共有資産となった。

遺体なき「政治闘争」への危惧

故・李海瓚元首相の追悼ムードが最高潮に達する一方で、韓国社会の深層では、この「死」が急速に政治的資源へと転換されることへの冷ややかな視線も交錯している。リベラル陣営にとって、李氏の逝去は反政権運動に「正統性」という燃料を投下する好機として機能しているが、死者を聖域化し、現在の政治闘争の「守護神」として召喚する手法には限界も見え隠れする。

保守派の論客や一部メディアは、これを「遺体なき政治闘争」と呼び、警戒を強めている。彼らの主張によれば、民主党を中心とする野党勢力は、李氏の具体的な政策遺産を継承するよりも、彼を「独裁と戦った殉教者」の列に加え、現政権を「新軍部」になぞらえるためのレトリックとして消費しているという。実際、ソウル光化門広場に設けられた市民焼香所では、追悼の辞とともに「政権退陣」や「戒厳令の真相究明」を叫ぶシュプレヒコールが連日響き渡り、厳粛な追悼の場は事実上の政治集会へと変質している。

こうした政治の過熱に対し、生活者たちの反応は複雑だ。ソウル市内のIT企業に勤務する朴智勲(パク・ジフン)氏(仮名)は、「民主化世代が成し遂げた功績は認めるが、政治家が亡くなるたびに過去の亡霊を呼び出し、国民に『悲しみ』か『怒り』かの二者択一を迫るような空気には疲れた」と吐露する。朴氏のような30代、40代の中間層にとって、現在の経済的苦境やAI失業の不安は、過去の民主化闘争の物語だけでは解決し得ない喫緊の課題である。

韓国世論における「政治家の追悼」に対する意識調査 (2026年1月)

結局のところ、李氏の死が「12・3」の記憶を呼び覚ます「抵抗の記憶」として定着するか、それとも古き良き運動圏政治の「最後の残光」として消えゆくかは、残された者たちが「遺体なき空間」を何で埋めるかにかかっている。それが具体的な政策代案ではなく、単なる情動的な扇動で埋め尽くされたとき、韓国民主主義は「喪失の政治」から一歩も前に進めないことになるだろう。