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[医療政策] 「犯罪者」とされた母の勝利:映画『シュガー』が映す1型糖尿病患者の連帯と制度改革

AI News Team
[医療政策] 「犯罪者」とされた母の勝利:映画『シュガー』が映す1型糖尿病患者の連帯と制度改革
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血糖測定器を密輸した「母」の物語

2026年、韓国のみならず日本やアジア全域で静かなる共感を広げている映画『シュガー』。そのスクリーンに映し出される物語の原型となったのは、数年前にソウルで起きた、ある一人の母親による孤独な闘争であった。彼女の名はキム・ミヨン。サムスン電子のエンジニアであり、何よりも1型糖尿病を患う幼い息子の母である。当時、彼女が直面していた現実は、単なる病魔との闘いを超え、硬直した医療行政という巨大な壁への挑戦を意味していた。

1型糖尿病は、生活習慣とは無関係に膵臓のインスリン分泌機能が破壊される自己免疫疾患であり、患者は生存のために日に何度も血糖値を測定し、インスリンを投与しなければならない。当時、韓国国内で認可されていた一般的な測定方法は、幼い子供の指先を日に十数回も針で刺すという過酷なものであった。その痛みと、夜間の低血糖による意識喪失の恐怖に怯える日々の中、エンジニアであるキム氏は海外の技術に活路を見出した。海外では既に実用化されていた「連続血糖測定器(CGM)」の存在を知った彼女は、国内未承認であることを承知の上で、息子の命を守るために個人輸入を決断する。

それは、母親としての切実な愛であると同時に、技術者としての合理的判断でもあった。彼女は単に既製品を取り寄せるだけでなく、スマートフォンのアプリと連動させ、リアルタイムで息子の血糖値を確認できるシステムを自ら構築した。このシステムは、同じ苦しみを持つ患者コミュニティ内で瞬く間に「希望の光」となり、彼女は多くの親たちのために機器の購入を代行するようになる。しかし、この利他的な行動に対し、国家が突きつけた答えはあまりにも冷徹であった。関税法および医療機器法違反。検察は彼女を「密輸業者」として告発したのである。

当時、ソウル中央地検から届いた出頭命令は、医療技術の進歩に法整備が追いついていない「デバイス・ラグ」の象徴であった。犯罪者扱いされたキム氏のニュースは、世論に大きな衝撃を与えた。「子供の命を守ろうとした母親が、なぜ法廷に立たねばならないのか」。この素朴な疑問は、やがて巨大なうねりとなり、当時の大統領府への国民請願へと発展した。これは単なる一過性の同情論ではなく、医療機器の承認プロセスがいかに現場のニーズと乖離しているか、そして「安心(Anshin)」を担保するための規制が、時として患者の「生存」を脅かすリスクになり得るという、現代医療行政の矛盾を白日の下に晒した事件であった。

2026年の視点から振り返れば、この事件は韓国における「ペイシェント・イノベーション(患者主導の革新)」の分水嶺であったと言える。キム・ミヨン氏の行動は、最終的に政府を動かし、連続血糖測定器の保険適用と輸入手続きの簡素化という制度改革を勝ち取った。映画『シュガー』が描くのは、一人の英雄の物語ではなく、制度の不備を個人の犠牲で埋め合わせようとした社会の反省と、声を上げることでしか守れない日常があるという冷厳な事実である。

1型と2型の狭間で:誤解という名の病

「糖尿病」という病名が持つ社会的な重みは、しばしばその医学的な実態を覆い隠してしまう。特に1型糖尿病(Type 1 Diabetes)と2型糖尿病(Type 2 Diabetes)の混同は、患者にとって単なる名称の問題ではなく、日々の尊厳に関わる深刻な障壁となっている。

1型糖尿病は、生活習慣や肥満とは無関係な自己免疫疾患である。膵臓のβ細胞が何らかの原因で破壊され、生命維持に不可欠なインスリンが枯渇する。食事制限や運動療法で改善が見込める2型とは異なり、1型患者にとってインスリンの外部補充は、眼鏡や松葉杖のような補助具ではなく、まさに「生命線」そのものである。しかし、2026年の現在においてなお、社会の認識はこの決定的な差異に追いついていない。

「甘いものを食べ過ぎたのか」「不摂生の結果だ」——。こうした無自覚な言葉の刃は、発症に一切の非がない患者たち、とりわけ感受性の強い若年層の患者を深く傷つけている。

都内の公立中学校に通う(仮名) 佐藤健太 氏(14歳)は、給食の時間になると密かに教室を抜け出し、多目的トイレの個室でインスリン注射を行っている。「クラスメイトに見られたら、麻薬か何かだと思われるのが怖い。病気のことを説明しても、特別扱いされていると思われるのが嫌だ」と佐藤氏は語る。本来、清潔な環境で行われるべき医療行為が、偏見への恐怖から、衛生的に望ましくない場所へと追いやられている現実がある。これは個人の羞恥心の問題ではなく、異質さを排除しようとする集団心理と、正しい医療知識の欠如が生んだ構造的な暴力と言える。

職場における「不可視化された苦悩」も深刻だ。大手商社に勤務する(仮名) 山本裕子 氏(32歳)は、就職活動時から自身の病気を伏せ続けている。インスリンポンプ(持続注入器)を衣服の下に装着し、血糖値の変動をスマートフォンでモニタリングしているが、会議中に低血糖のアラームが鳴るたびに冷や汗をかくという。「能力ではなく、健康リスクで評価されることへの恐怖がある。2026年の今はテクノロジーで血糖管理が容易になったが、それを許容する職場の空気はまだ醸成されていない」と山本氏は指摘する。

スクリーンが社会の沈黙を破る時

映画『シュガー』が公開された当初、多くの批評家はこれを単なる「難病もの」の感動作と予想していた。しかし、スクリーンに映し出されたのは、インスリンポンプの輸入手続きという無機質な行政の壁に、子供の命を救おうとする一人の母親が「犯罪者」として断罪される不条理劇であった。この映画が韓国社会に突きつけたのは、1型糖尿病という疾患そのものの苦しみよりも、むしろ制度の硬直性がもたらす「構造的な暴力」である。

映画の中で描かれた、税関で没収される血糖測定器と、立ち尽くす母親の背中は、観客の感情を「同情」から「義憤」へと変質させる決定的なトリガーとなった。ソウル市内の映画館で本作を鑑賞したという (仮名) 朴ジフン氏は、「自分たちが安全だと信じていた法制度が、実は弱者を追い詰める凶器になり得ることを突きつけられたようで、恐怖すら覚えた」と語る。このリアリティこそが、単なるエンターテインメントの枠を超え、世論を喚起する導火線となったのである。

特筆すべきは、この映画が制作段階から実際の患者団体や医療機器開発に携わるエンジニアたちと綿密な連携を行っていた点だ。脚本における「連続血糖測定器(CGM)」や「DIY閉ループシステム」に関する描写の正確さは、医療関係者をも唸らせた。これは、当事者の声を物語に昇華させる「ナラティブ・アドボカシー」の成功例と言える。従来、複雑で専門的な医療機器規制の問題は、一般市民には理解されにくい「専門家の領域」として処理されがちであった。しかし、『シュガー』はその技術的障壁を、親子の絆という普遍的な言語に翻訳することで、規制緩和の必要性を大衆レベルの議論へと押し広げたのである。

この文化的ムーブメントは、永田町ならぬ汝矣島(ヨイド・韓国国会)をも動かした。映画のヒットを受け、与野党を超えた議員連盟が発足し、医療機器輸入に関する規制緩和と、患者主導のイノベーションを保護する法的枠組みの再検討が加速したことは記憶に新しい。行政側も、当初は「安全性の担保」を盾に慎重姿勢を崩さなかったが、映画が可視化した「法の空白地帯」に放置された患者の現実を前に、運用改善への舵を切らざるを得なくなった。

制度の壁は崩れたが、意識の壁は残る

2026年1月現在、韓国における1型糖尿病患者を取り巻く環境は、法制度上では劇的な変化を遂げた。「犯罪者」とされた母親の闘争と、その実話を基に制作され社会現象となった映画『シュガー』のヒットは、確かに国会を動かした。持続血糖測定器(CGM)やインスリンポンプへの健康保険適用拡大は、多くの患者家族にとって「生命線」の確保を意味した。しかし、制度というハードウェアがアップデートされた一方で、社会の認識というソフトウェアの更新は、いまだ遅々として進んでいないのが実情だ。

「法律が変わっても、職場の視線までは変わりません」。ソウル市内のIT企業に勤務する(仮名) パク・ジヨン氏(29)は、静かにそう語る。彼女は10歳の頃に1型糖尿病を発症し、現在は最新のクローズド・ループ・システム(人工膵臓)を使用している。かつてのようにトイレに隠れてインスリン注射を打つ必要はなくなったが、会議中にCGMのアラートが鳴るたび、周囲から向けられる「自己管理ができていないのではないか」という無言の圧力は消えていない。

さらに深刻なのは、「重症難治性疾患」としての認定を巡る行政の壁だ。保険適用範囲は広がったものの、韓国の医療福祉制度において1型糖尿病は依然として、がんや希少難病と同等の「重症」カテゴリーには完全には組み込まれていない。これにより、高額な最新デバイスの維持費に対する自己負担率は、多くの家庭にとって無視できない重荷となっている。

韓国における1型糖尿病患者の医療費自己負担率の推移(対所得比)

上記のデータが示すように、患者家族の経済的負担は確実に軽減傾向にある。しかし、欧米の一部先進国で実現されている「フルカバー(完全公費負担)」と比較すれば、依然として家計への圧迫は強い。特に、技術進歩によりデバイスが高性能化・高価格化する中で、制度の更新スピードがそれに追いついていないという新たな「乖離」も生まれている。

医療社会学を専門とする延世大学の(仮名) キム・ヒョンス教授は、「技術と制度のギャップは埋められても、最後に残るのは『正常性』を巡る社会の偏見だ」と指摘する。同氏によれば、1型糖尿病患者が求めているのは、単なる治療費の支援だけではない。「機械と共に生きる身体」が、特異なものではなく、当たり前の多様性として受容される社会的な土壌の醸成こそが、次なる闘争の核心であるという。

ソウルから世界へ響くアドボカシーの教訓

韓国で起きた「1型糖尿病の母」への摘発と、その後の劇的な政策転換は、単なる一国の成功譚に留まらない。この事例は、医療技術の進歩が既存の法制度や規制の枠組みを追い越してしまった際に生じる「制度的空白」という、日本を含む先進諸国が共通して直面している構造的課題を浮き彫りにしている。2026年現在、AGI(人工汎用知能)や高度なウェアラブルデバイスが医療の在り方を根本から変えようとする中で、韓国の患者団体が示した「当事者によるアドボカシー」は、今後の日本の医療政策における重要な指針となるだろう。

日本においても、1型糖尿病患者が直面する壁は依然として高い。持続血糖測定(CGM)やインスリンポンプといった高度医療機器の普及は進んでいるものの、保険適用の要件や自己負担額、そして何より教育現場や職場での「無理解」という目に見えない障壁が、患者の生活の質(QOL)を制限している。日本の医療現場で長年勤務する (仮名) 佐藤健太 氏(40代、内科医)は、「技術的には24時間の精密な管理が可能になっていても、それを社会が受容するスピードが追いついていない。患者家族が法を犯してまで機器を輸入せざるを得なかった韓国の状況は、決して他所の国の出来事ではない」と指摘する。

2026年のトランプ政権による徹底した規制緩和と「アメリカ・ファースト」の潮流は、医療機器のグローバルな流通を加速させる一方で、安全性の検証や倫理的合意形成のプロセスを簡略化するリスクも孕んでいる。このような不確実な時代において、当事者の声に基づいたチェック&バランスの機能は、かつてないほど重要性を増している。

法が人を守るための盾ではなく、生存を阻む壁となったとき、私たちはその壁を壊す勇気をどこに求めるべきだろうか。技術が個人の自律を助ける翼となるのか、あるいは新たな管理の鎖となるのかを決めるのは、一体誰の視線なのだろうか。