結束の揺らぎ:2026年「マーチ・フォー・ライフ」で見えたトランプ氏と保守派の深い溝
氷点下のワシントンに吹く「亀裂」の風
2026年1月24日、氷点下のワシントンD.C.。ナショナル・モールを吹き抜ける風は、例年以上に冷たく、そして鋭く感じられた。米国における人工妊娠中絶反対派(プロ・ライフ)による最大規模の集会「マーチ・フォー・ライフ(いのちの行進)」が今年も開催されたが、その空気感は過去数年の「勝利の凱旋」とは明らかに異質なものだった。
かつて「ロー対ウェイド判決」を覆した立役者として熱狂的に迎えられたドナルド・トランプ氏に対し、今年は会場のそこかしこから、称賛だけでなく、戸惑い、あるいは「要求」の声が上がっていたからだ。この日、筆者が目の当たりにしたのは、一枚岩と思われていた「MAGA(Make America Great Again)」運動と、その強力な支持基盤である宗教右派との間に走り始めた、静かだが深い亀裂である。
「トランプは我々に約束した。しかし、今は『取引』を優先しようとしている」。テキサス州からバスで20時間かけて駆けつけたという牧師の男性(58)は、白い息を吐きながら厳しい表情で語った。「中絶を州の判断に委ねるだけでは不十分だ。連邦レベルでの完全な禁止こそが、神の意志であり、我々が彼をホワイトハウスに送り込んだ理由のはずだ」

彼の言葉には、トランプ氏が次期選挙を見据え、中道派や無党派層の票を取り込むために、強硬な中絶禁止論から距離を置き始めていることへの苛立ちが滲む。かつてトランプ氏は、保守派判事を最高裁に送り込むことで彼らの悲願を叶えた。しかし、2026年の中間選挙、そしてその先の政治的遺産を確固たるものにしようとする今、彼は「イデオロギー」よりも「勝てる戦略」を選択しつつあるように見える。
「ロー対ウェイド」後:勝利がもたらした迷走
かつて、この行進は「ロー判決の覆し」という明確かつ共有された悲願によって、カトリック、福音派、リバタリアン、MAGA勢力を一つに結びつけていた。しかし、2022年のドブス判決によってその悲願が成就した今、かつての連帯は「勝利による迷走」へと姿を変えている。
共通の敵を失った運動体内部では、「連邦政府による一律の禁止」を求める強硬派と、「州の自治」を尊重し選挙への悪影響を懸念する現実派(プラグマティスト)との間で、修復困難な亀裂が生じている。特に、トランプ氏の計算は冷徹だ。彼は、激戦州(スイング・ステート)での勝利なしに政権維持が不可能であることを熟知している。
トランプ氏は「中絶問題は各州の判断に委ねるべきだ」という立場へとシフトし、これ以上の連邦レベルでの規制強化を明言することを避けている。一方、マーチ・フォー・ライフの参加者や主催団体の多くは、「州ごとの判断では不十分だ」として、連邦議会による完全な禁止法案の制定を迫る。この「実利」と「原理」の衝突は、単なる政策論争を超え、保守派のアイデンティティ・クライシスとなっている。
以下のデータは、共和党支持層内部における意識の変化を可視化したものである。かつて絶対的な熱量を誇った「中絶反対」という文化的価値観が、インフレ等の経済課題に押されつつある一方で、外交・安全保障への関心は著しく低下している。
米国共和党支持層における政策優先度の推移(2022年-2026年予測)
「プライマリー・パラドックス」:2026年中間選挙への暗雲
この分裂は、2026年の中間選挙に向けた「プライマリー・パラドックス(予備選の逆説)」という形で、共和党候補者を追い詰めている。党内の強硬派は「連邦レベルでの中絶全面禁止」を支持しない候補者に対し、予備選(プライマリー)での対立候補擁立や資金援助の停止をちらつかせている。候補者が予備選を勝ち抜くために極右化すればするほど、本選ではペンシルベニア州やアリゾナ州などの激戦州で、無党派層や郊外の女性層(サバーバン・ウーマン)から強烈な拒絶反応を受けることになる。
トランプ氏が今回の集会で見せた「戦略的曖昧さ」は、このジレンマを回避しようとする苦肉の策だが、それは同時に岩盤支持層である福音派の熱意(エンスージアズム)を削ぐリスクも孕んでいる。
激戦州における共和党支持層の投票意欲への影響予測 (2026年中間選挙)
もし、コアな支持層が選挙への熱意を失い、投票所から足を遠のければ、共和党は「ベース(岩盤)」と「スイング(浮動票)」の両方を失うという最悪のシナリオに直面しかねない。
「分断される合衆国」と日本への波及
この「実利」と「原理」の衝突は、単なる米国内の政策論争にとどまらない。日本を含む同盟国にとって、米国の保守政治の行方は極めて重要な意味を持つ。
なぜなら、共和党内の結束が揺らぎ、党内抗争が激化すれば、それは直ちにワシントンの政策決定能力の麻痺につながるからだ。特に、連邦議会での予算審議や、対中国・対北朝鮮政策における超党派の合意形成において、宗教右派の影響力を無視できない共和党議員たちが、強硬な姿勢を崩さず、妥協を拒否する事態が常態化するリスクがある。
ある外務省関係者は、「米国の内政が安定していることこそが、日米同盟の最大の資産だ。政党内部の構造的な分裂は、予測可能性を著しく低下させる」と懸念を示す。もし共和党が、経済政策や安全保障よりも、妊娠中絶やジェンダーといった「価値観の闘争」に党内エネルギーの大半を費やすようになれば、日米が協力して取り組むべき経済安全保障やサプライチェーンの再構築といった実務的な課題が、後回しにされかねない。
さらに懸念されるのは、内政の得点稼ぎのために、対外強硬策に出るか、あるいは内向きになり孤立主義を深める「振れ幅」の大きさだ。以下のチャートが示すように、内政(社会問題)への関心が高まるにつれ、国際的な指導力への関心が低下している現状は、日本の安全保障にとって静かだが深刻な脅威である。
米共和党支持者の関心事の変遷と国際関与への意識 (2022-2026)
関連記事
「奉仕への敬意」なき同盟は成立するか:ハリー王子のトランプ氏批判が日本に問いかけるもの
英国ハリー王子とトランプ前大統領の間で激化する「軍事的奉仕」を巡る価値観の衝突。それは単なる舌戦を超え、日米同盟の精神的基盤である「犠牲の共有」と「信頼」に対し、日本が直視すべき深刻な問いを投げかけている。
嘘の代償は1000億円:FOXニュース巨額和解が日本のメディアと民主主義に突きつける問い
FOXニュースがドミニオン社に支払った約1000億円の和解金。この歴史的決着が意味する「真実の価値」とは?米国司法の現場から日本のメディア環境への示唆まで、徹底的な分析で紐解く。