ECONALK.
Politics

[英国エネルギー政策] 暖房費支援2030年延長と「申請主義」の限界:2月27日期限が問うもの

AI News Team
[英国エネルギー政策] 暖房費支援2030年延長と「申請主義」の限界:2月27日期限が問うもの
Aa

英国政府は、エネルギー価格の高騰が家計を圧迫し続ける中、低所得者層向けの電気・ガス料金割引制度「Warm Home Discount(WHD)」を、2030/31年の冬まで継続することを正式に決定しました。この決定は、単なる一時的な救済措置の延長ではありません。トランプ政権下の米国が「アメリカ・ファースト」を掲げ、市場原理への回帰と公的支援の縮小へと舵を切る中で、英国は対照的に、政府主導による長期的な社会的セーフティネットの強化を選択したことを意味します。

エネルギー安全保障・ネットゼロ省(DESNZ)が発表したこの長期計画は、エネルギー供給事業者に対し、少なくとも今後5年間の制度維持を義務付けるものです。具体的には、適格な世帯に対して冬季の電気料金から150ポンド(約2万8000円)を自動的に、あるいは申請に基づいて割り引く仕組みです。この「2030年までの約束」は、長引くインフレと地政学的リスクによるエネルギー市場の不透明感に対し、国民に「安心(Anshin)」を提供しようとする労働党政権の意志の表れと言えます。市場の不確実性を嫌う日本の政策立案者や企業にとっても、この予測可能性を重視した政策決定は示唆に富む動きです。

しかし、この長期的なコミットメントの裏には、制度設計上の課題も潜んでいます。Ofgem(英国ガス・電力市場監督局)のデータによれば、過去数年間の制度運用において、対象となるべき世帯が支援を受けられない「こぼれ落ち」が少なからず発生しています。制度の継続は歓迎すべきことですが、その恩恵を確実に届けるための「ラストワンマイル」の仕組みが、依然として申請者側のリテラシーや行動に依存している点は見逃せません。

「150ポンド」の重み:物価高騰下の命綱

英国のエネルギー貧困対策として定着した「Warm Home Discount」の2030年までの延長決定は、多くの低所得世帯にとって一時の安堵をもたらしました。しかし、この「150ポンド(約2万8000円)」という支給額が、2026年の英国における生活実態と照らし合わせた際、果たして十分な命綱となり得ているのかについては、冷静な分析が必要です。

現在のロンドン市内のスーパーマーケットにおける物価指標を見ると、150ポンドの「購買力」の現実が浮き彫りになります。国家統計局(ONS)の最新データによれば、基礎食品価格は2024年比で依然として高止まりしており、150ポンドは平均的な低所得世帯における約2週間分の食費、あるいは厳冬期における約3週間分の暖房費に相当します。かつてはひと冬の暖房費の補助として機能していたこの金額が、エネルギー価格の高騰により、そのカバー率は著しく低下しています。

特に深刻なのは、いわゆる「Heat or Eat(暖房か、食事か)」という究極の選択を迫られる世帯の現実です。エネルギー価格上限(Price Cap)は制度上の抑制として機能しているものの、基本料金の上昇や寒波による消費増が家計を圧迫しています。英国の慈善団体「ナショナル・エナジー・アクション(NEA)」の試算によると、この150ポンドの支援があったとしても、最低賃金層の世帯では冬期に月額平均50ポンド以上の赤字が発生する構造的な乖離が生じています。

英国における150ポンドの実質価値とエネルギー請求額の推移(2022-2026)

このグラフが示す通り、支援額(value)が横ばいであるのに対し、年間平均エネルギー請求額(bill)は変動しつつも高水準で推移しており、支援がカバーできる割合が相対的に低下していることが視覚的に理解できます。政府は「確実な継続」を成果として強調しますが、現場の生活者にとっては実質的な価値の目減りに直面しているのが実情です。

2月27日の壁:今冬の受給に残されたわずかな時間

制度の長期延長という朗報の影で、今冬(2025/2026年シーズン)の受給資格を確定させるための「2026年2月27日」という期限が迫っています。今月31日、ロンドン市内は記録的な寒波に見舞われ、暖房需要が急増していますが、制度の「自動付与(Core Group)」対象外となる世帯、いわゆる「申請必要層(Broader Group)」にとって、この期限は支援を受けられるか否かの分水嶺となります。

特に、スコットランド在住者や、特定の低所得者層においては、電力会社への直接申請が依然として必須であり、この「申請主義」の壁が、最も支援を必要とする層を制度から遠ざける要因となっています。マンチェスター郊外に住む年金受給者の事例では、情報の錯綜により「自動的に振り込まれる」と思い込み、申請が必要であることに気づいていないケースも報告されています。もし2月27日までにアクションを起こさなければ、今冬分の権利は永久に失われます。

エネルギー規制当局Ofgem(オフジェム)のデータなどを総合すると、昨冬、受給資格がありながら申請漏れにより支援を受けられなかった世帯は数十万件規模に上ると推計されています。デジタル手続きへの不慣れや、英語を母国語としない居住者にとって、複雑な受給要件の確認は高いハードルです。

暖房費割引制度:申請漏れとエネルギーコストの推移(推計)

※ unclaimed: 未申請・受給漏れ世帯数(万件単位・推計)、cost_index: エネルギーコスト指数(2023/24年を100とする)

2026年現在、トランプ政権下の米国による化石燃料回帰の方針が世界のエネルギー価格に新たな変動をもたらしており、英国の家庭用エネルギー価格も予断を許さない状況です。専門家は、「2030年までの延長は歓迎すべきだが、重要なのは、今、凍えている人々が2月27日までに確実に申請を完了できるかだ」と警鐘を鳴らしています。

日本への示唆:エネルギー貧困と「申請主義」の克服

英国政府が「暖房費支援」を2030年まで延長し、エネルギー政策に中長期的な予見可能性を持たせたことは、短期間での「激変緩和措置」を繰り返してきた日本の政策立案者にとって、重い問いを投げかけています。しかし、英国で現在進行形で問題となっている「2月27日という申請期限の壁」は、日本社会が抱える「申請主義」の限界とも重なります。

日本においても、各種給付金や支援策の多くは、対象者が自ら情報を取得し申請を行う必要があります。英国の事例が示す「制度があっても届かない」という現実は、日本にとっても他山の石ではありません。デジタルデバイド(情報格差)や認知機能の低下、あるいは日々の生活に追われる中で、本来受け取れるはずの支援を「申請漏れ」によって逸失している層は、統計に表れない「隠れエネルギー貧困層」として存在しています。

2026年現在、日本政府はマイナンバーカードを活用した「プッシュ型支援」への転換を掲げていますが、所得制限や世帯構成の変動をリアルタイムで把握し、申請なしで自動的に振り込むシステムの構築は道半ばです。社会保障論の専門家は、「支援の恒久化と手続きの自動化はセットでなければならない」と指摘します。行政が持つ税務情報や福祉データを紐づけ、申請を待たずに権利を確定させる「アウトリーチ型」の実装こそが、真のセーフティネットには不可欠です。

支援形式による推定受給率の格差(モデル比較)

英国の事例は、支援策を長期化することで「制度の安定」を図る重要性を示しました。しかし同時に、その制度への入り口が「申請」という狭き門である限り、最も支援を必要とする人々が取り残されるリスクも浮き彫りにしています。日本がエネルギー危機を乗り越えるためには、財源論だけでなく、この「ラストワンマイル」を埋めるための行政DXと、申請主義からの脱却を加速させる必要があります。